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2010年9月

 重度の知的障害者の、中絶や、義務教育以前の最速の安楽死の、法制度導入の必要性について。

 たまに重度の知的障害者を、電車の中で見ることがある。

 一度は、中央線で、20~30代の重度の知的障害者と、男性の中年の福祉職員2名(うち1名は父親かもしれない。)

 もう一度は、地下鉄で、やはり20~30代の重度の知的障害者と、家族らしき母親と姉か妹が計2名。

---

 自力で日常行動しているような、より軽度な知的障害者や、ボーダー者は、街中のどこかの施設で、たまにだが、重度よりは頻度が高く、見かけることがある。

 軽度の知的障害者特有の行動で、赤の他人に非常識に話しかけてきて、こちらが迷惑することも、頻度は低いが、ある。

---

 協力隊のような、末端の組織になると、もちろんまともな人間も入ってくるが、一部ではJICAや業界団体のコネがきくらしいし、かなりボーダーな人物も、たしかに同僚にいた。

 民間でも、衰退企業には、そういうボーダー者が、たしかにいた。

ーーー

 自分の世代は、義務教育時に、まだ障害者を、厳密に、一般学校から離して、養護学校に囲う時代ではなかった。

 だから、小学校の同級生に、専門的な程度の重軽はわからないが、その当時で、1~2才程度の知能と思われる、障害を持った同級生もいた。

 中学か高校の時に、同じ中高の地元の同級生と、地元の公園で遊んでいると、その障害児の元同級生がたまたま来て、共に少し話したか遊んだ記憶もある。

ーーー

 だから、実際には、子供の頃から名前も含めて人として知っている障害者と、

 最初の記述のように、電車や街で見るような、一般的な赤の他人の障害者では、もちろん、感覚的に、違う。

ーーー

 ただ、その上で言えば、

 電車や街で見たような、一般的な赤の他人の、重度の知的障害者を見るとき、

 やはり、どうしようもない「違和感」を感じるのは、「事実」である。

ーーー

 要するに、自然界なら、とうに死者であるはずの生命体が、その年齢まで生きていないはずの生命体が、そこに生きている、「違和感」というのであろうか。

ーーー

 人助けが、趣味的に極度に「大好き」な人が、世の中に、少数派とはいえ一定数いることは、私も、この年までの人生経験で知っている。

 

 そう言う人たちには理解できないだろうが、

 また、私も協力隊に2年いたぐらいだから、人助けに全く興味がない人間ではないが、それでも、

 

 やはり、一定以上に過剰な「人助けの強要」は、

 もちろん公共負担なら私も負担を強いられる故もあるが、

 やはり私個人としての「生理的本能」「個人の自由」や、

 私が理解し、党派的に求める範囲での、社会という個々人の集団の、平均的・現実的な「脳知能」「社会性」の点でも、

 「おかしい」し、「間違っている」と思う。

ーーー

 「あー」とか「うー」とか言うだけの、1~2才児の脳のまま、「本能」と「個人の自由」のまま、生きている「大人」の、重度知的障害者をみて、

 本心から微笑ましくいられる一部の健常者がいても、それはそれでいいだろう。

 

 他人の性格や好み、思考回路をどうこうしようと思うほど、私は下司でも、馬鹿な狂信者でもない。

ーーー

 しかし、そういう人たちは、

 

 世の中全ての健常者が、

 あなたたちほど、「他人への人助けが大好きで」、「それが一番の趣味の生き甲斐で。」、

 また、あなたたちの一部の、ある人達のように、「極度に体力知力で有能で、それゆえ余裕のある人格者になれる超エリートの人達で。」、

 また、逆に、あなたたちの一部の、別の人達のように、「健常者の中では、体力や知能における末端近くで、それゆえ、自分たちが社会の一番下でないことを確認して慰めたいために、より劣等な人達に存在して欲しくて。」、

 また、あなたたちの一部の、別の人達のように、「何か、人類として生まれた個体は、全て、老衰や重病による自然死以外では、生きる権利がある、と、法律の条文や何かのお題目を、たとえ現実とかけ離れていても、宗教のように純粋に信じていられる人達で。」

 いるわけではない、むしろ、上記の特性のある人達が少数派なのだ、ということを、

 より自覚する、気付く、目を覚ます必要がある。

ーーー

 小学校時代の同級生の事例のように、一度、義務教育以降で人間同士で関わると、

 まだ天明の大飢饉のような事態に直面していない、今の日本では、いくら社会が貧しくなりつつあると言っても、 

 人間感情的に、直接知っている人を対象には、どうこう言えない。

ーーー

 しかし、少なくとも、今後これから生まれてくる胎児や新生児に関しては、

 やはり、なるべく早急に、法務省や厚生労働省の管轄での、新しい施策が、憲法改正も含めて、必要なのではないか?

ーーー

 高等生物である人間1個体を、一生飯を食わせるのに、

 

 どれだけのヘクタールの水田(稲)や畑(小麦)、

 どれだけの量の根菜や野菜、

 挙げ句の果てには、植物だけでなく、どれだけの量の、動物(牛豚鳥魚)が、必要か、

 

 都市の人間は、本当にわかっているのか?

 農村の人間だって、現場の人達は、業務で必要ないので総計算していないだろうし、農水省のトップでも、面倒くさがって計算していないだろう。

 (政治家に言われれば、慌てて調べ始めるだろうが。)

ーーー

 植物にしろ動物にしろ、それら人間が食う生き物は、

 魔法で無限に作れるわけでも、工業製品の様に、大量生産で短期間に量産できるわけでもない。

 

 生物は、根本的に、土壌の栄養分に依存し、年間の生産量も限られる。

 土地も、耕作適地の面積が限られ、

 無理に斜面の森林を開発すると、短期的に収量は上がっても、数年後の長期はかえって、土壌浸食など環境破壊が起こり、収量が激減する。

ーーー

 いくら、人間が生態系の勝者で、元来、熊や狼や鹿が食べていたはずの食べ物や土地を横取りしたからって、毎年の入手可能な食べ物には限度がある。

 

 都市の人間は、福祉だとか医療だとかしか知らない人間は、

 えてして、食べ物が温泉のようにわき出てくるとでも、コンビニに行けば未来永久にあるとでも、思っているのではないか?

ーーー

 重度の知的障害者に、太るほど十分な飯を食わせている先進国を、

 重度の障害どころか、健常者の平均より少し下すら、ろくに飯も食えずに飢えている途上国の人達が、  

 どういう目で見ているか、

厚労省や農水省のトップや、自治体の現場職員、管轄の民間職員達は、考えたことがあるのか?

ーーー

 憲法に関しては、やはり、生存権から、重い決断だが、一定以上の重度の障害者は、はずす必要がある。

 

 合衆国が作った憲法は、

 

 日本に住まず、日本に家族もおらず、または、

 日本で自身の老後を過ごすわけでもなく、日本で子供が成人するわけでもない、

 すなわち、

 日本の人々の将来に何ら責任を持たずに一生を過ごせる人達、

 

 すなわち、

 1945~46年の、合衆国の上層部と、占領軍GHQ, 

 挙げ句の果てには、GHQのコネで日本に卒業研究に来た合衆国の青2才の学生までが、

 「日本を、二度と合衆国と戦争をしないようにさせる。」

 という、その目的のためだけに、

 逆に言えば、その目的以外には、全て「無責任で」「どうでもいい」立場から、

 作った、憲法です。

ーーー

 飢餓状態になれば、空文化して破綻する憲法を、条文だけ維持することは、

 いざそういう事態になった時、憲法自体の価値が、信用をなくすことにつながります。

 

 下手をすると、日本国民の、感情・本能に流されやすい特性や、逆に狂信的に論理・知能を信仰しがちな特性や、将来の国民世代の知的水準の低下によっては、

 法治国家自体が否定され、人治国家に逆戻りする危険性さえ、あります。

ーーー

 名目だけはきれいだが、現実益では悪名高い9条も、今度の漁船事件を見ると、そう遠くないうちに足かせになる可能性があるが、

 それ以上に、

 たしかに重要な基本テーマとはいえ、9条以上に、あまりに理想を書きすぎている25条は、問題です。

ーーー

 天明の大飢饉や、八重山の人頭税地獄は、

 全体的にも、人口が増えすぎた、この地球で、

 世界レベルで、そう遠くない将来、不定期に局地的に起こりうることです。

 

 数年前、冷夏だっただけで、ハイチでは食べ物が枯渇して暴動になりました。

 ある意味、地震で人が減って助かっている部分も、生き残った人には、あるでしょう。

ーーー

 やはり、

 今後、法制化に必要な一定の期間以降に、生まれてくる、

 一定以上の重度の知的障害者は、

 

 できれば胎児のうちに、

 もしくは、出生後でも、保育園や義務教育に入る前迄の段階なら、

 

 健常者の一部の、変わった性格の人の、本能や個人自由、

 一般的な健常者の、人間としての、脳知能や社会性で、

 周囲が情を抱く前に、

 

 中絶(最優先)や、

 中絶の次の優先での、義務教育前までの最速の出生後の安楽死も、

 憲法改正と法律で、社会義務化する必要が、あるのではないだろうか?

ーーー

 江戸時代までは、一般庶民はもちろん、おそらく将軍家や大名家でも、

 親が赤子を土に埋める方法などで、行われていたのである。

 (重度障害どころか、家計次第や、気に入る気に入らない程度ですら。)

ーーー

 エコと人権が矛盾するとき、

 必ずエコを選べという考えも誤りだが、

 同様に、

 必ず人権を選べという考えも誤りである。

 要は、バランスだ。

 

 しかし、古代や中世、近現代と比べて、

 エコの制限要因が、人口圧迫が、不可避的に強くなっているのは、

 FACTとしての事実である。

ーーー 

 出産に伴う女性の生理的代謝消費は、

 精液を出すだけの男性より、遙かに上回るのは、事実だ。

 

 そのことで、運悪く、重度障害をもった胎児を、10ヶ月苦労して産んだ、女性が報われないではないか、

 と、ジェンダー教徒等がいうなら、

 

 それは、重度障害者の、中絶や早期安楽死を否定するのではなく、

 そういう母親への、代替的な保険制度を、作ればいいのではないか?

ーーー

 すなわち、全ての出産母と父に、

 法定とする重度障害保険の加入を義務づけ、常識的な保険金を払わせ、

 もちろん、不正はないようにして、

 

 本当の自然の状態で、重度の障害児を妊娠or出産した母父に、

 11ヶ月分の母親の生活保護費に相当する額と、産婦人科費用と、

 保険金・発生率・差し引く運営費から計算した、一定の見舞金が、

 払われる制度だ。

 (自然的に行けば、重度障害を産む比率は、相当低いはずである。)

ーーー

 重度の障害児出産の事例ですら、金と命は絶対釣り合わない、補償できないという、

 直江兼続も応対に困るような、わがままな人間がいて、

 ご自身の生理的本能や個人の自由、

 またはご本人が信じる・望む、社会集団の、脳知能や社会性、 

 これらで、反発するかもしれない。

ーーー

 だがそれは、例えを下等生物にするのは失礼だが本質で同じこととして、 

 自分でえさ代も稼げないのに、処分場の大型犬を飼いたいと、親にたかり地にばたつく小学生児童と同じの、

 脳知能と社会性の欠如した、幼児的な、生理本能・個人自由「だけ」の自己主張である。

 大型犬が一生食べるペットフードも、かなりの量だが、人間1名なら、更に馬鹿にならない。

―――

 法律による刑罰(ハード)と共に、

妊婦とその夫には、

 車の免許の講習会のように、

「農学と生物学の基礎的な知識」の講習会の義務づけが、必要かと思われる。

 

また、中絶や安楽死時の、心理カウンセリングも、上記の重度障害保険や一般行政で、社会義務的に、行ってもいいかもしれない。

ーーー 

 宗教的な信念から、自身が福祉手当を一円ももらわずに、重度障害児を育て通すという人がいたら、その間だけは、金銭面では、他人に直接負担をかけないかもしれない。

 しかし、そのために、現実的には、その親は、

 よほど有能でも、

不幸不運を背負いつつ余計に稼ぐために、

 シャイロックやスクルージ真っ青の、がめつい、他人に過酷なまでの、過剰な市場競争をして、不要に他人を苦しめたり、

 

無能なら、

途中で挫折して投げ出して、他人に迷惑をかけたり、無理をして犯罪に手を染めたり、

 

する可能性が高くなるのである。

ーーー 

 親自身は納得済みでも、まだ未成年の健常者の兄弟姉妹は、

 本当に兄弟姉妹自身が、負担増や、場合によっては貧困を味わっても、納得するだろうか? 健常者の兄弟姉妹のほうへの、養育義務がおろそかにならないか?

 未成年の間は、兄弟姉妹を親権で押さえつけられても、彼らの成人後や、または自身の老後に、

 福祉手当なしで、誰が、成人以降で、飯も大人並みに食らう重度障害者を、確実に面倒を見るのか?

 結局、最後は福祉手当に泣きつくか、中途半端に育てて放棄して、街や山でのたれ死なす、いずれにせよ、赤の他人に負担をかけることになる。

ーーー

 また、あんまり体力知力が高く、自身は余裕があるからって、世間体も含めて過剰に人格者を演じようとする人達や、

 逆に、下にもっと惨めな人達が欲しい、と甘ったれる健常者の末端の人達は、

 多数派である、中庸の人達の社会集団の、脳知能・社会性、に、ある程度合わせなければならないことを、民主主義社会では、学ぶ必要がある。

ーーー 

 ひとりあたりでは、優秀な少数エリートの方が多く税金を払っているが、全体では、中庸層のお支払いした税金の方が、やはり多くなる。

 そして、そういう税金が、福祉手当の原資になっているのである。

ーーー

 下にもっと惨めな人達が欲しい、という健常者末端は、ただの甘ったれで、

 上を見たら、上の方が多数派で、遙か彼方まで果てしなく続いていて、生理的に辛くて滅入るというなら、

 気楽に下を見続けたかったら、動物園のサルや下等生物を、いくらでも、好きなだけ見て、人間で良かったと満足すればいい。

ーーー

 学校教員が、何か無理なことを無理にしようとすると、お得意の「心理学」で、「嘘」「詐欺」「詭弁」の限りをつくすように、

 

 重度障害者の家族や、その世話をして生計を立てる福祉雇用者も、何か無理なことを無理にしようとして、

 「暴力」は戦後社会で否定されているので、

 

 貧困層や女性は、

「宗教」への免疫が低いので、(経験や教養や知能が少なければ、信じ込む方が楽だから)、

「観念や狂信」「目先の浅知恵」に走ったり、

 逆に、エリート層は、

お得意の「嘘」「詐欺」「詭弁」に走る。

―――

 いずれにせよ、

彼ら重度障害者の家族や、福祉雇用者達は、

ご自身の「本能と自由」、

 ご自身や似たもの同士の社会集団だけにとって快適な、「脳知能」「社会性」

 ばかりを、追求して、

 

他人の「本能や自由」、似たもの同士でない人達(重度障害者の家族や雇用関係者以外の人達)を含む集団の「脳知能」「社会性」を、無視し、

 挙げ句の果てには、潰そうとすらしてくる。

 結果、他人に「迷惑」「損害」「加害」「妨害」ばかりすることになる。

 はっきり申し上げて、非常に迷惑です。

ーーー

 国会議員の方々様におかれましては、

 一定期間後からの、重度障害者の新生児中絶や、義務教育入学までの最速の安楽死制度を、

 その為に必要な、憲法改正や法律作成も含めて、

 地球環境の保全と、人類社会の持続可能な進化のために、

 行動・施行して下さりますよう、

 よろしくお願い申し上げます。

―――

 中国の漁船の船長の釈放について。

 たしかに、地検の説明に、外交問題や経済問題があったのは、彼らの業務と矛盾している。 

 検察の仕事は、行政府の一部として、司法警察(海上保安含む)が確保した被疑者を、起訴するか起訴しないかを決めること。後は、起訴したら、司法府での裁判で、被疑者の違法性を立証すること。

ーーー
 国レベルの外交や貿易のことを考えるのは、はっきり申し上げて、検察の仕事ではない。
 ましてや、地方の出先機関の仕事ではない。

 もちろん、
 政治判断するなら、この事例では、当然、
 法務大臣・法務省・中央の検察本庁が、官邸・外務省・経産省と協議して、各責任者の権限責任に応じて、決定することになるだろうが。

ーーー
 司法資格を持つ仙谷氏や福島氏のコメントの範囲から素人が想像すると、

 一般的には、地検には、類似事件でこの位の期間で釈放する前例や権限があるのかもしれない。

 しかしその場合でも、理由の説明内容は、非常に法律論的な、事件の事例と法律の解釈的な専門話であって、断じて外交や経済の話であってはならない。

ーーー
 地方の検察が、業務上での、外交や経済の判断をすると言うことは、

 いってみれば、外務大臣・外務省職員、または、経産大臣・経産省職員が、
 それも本省ではなく、出先の大使や大使館職員、地方の経産事務所長や職員が、

 ある事件の被疑者に違法性があると言い出して、法務省や検察でもないのに、警察から被疑者を勝手に預かって、起訴するかしないかを勝手に決めて、3,4日で釈放するのと、同じ事だ。

 外務や経産が、そんなことをしたら、法務省も検察も、「権限もないのに、うちの業務をするな。」と、怒り心頭になるはずだ。
 それ以前に、そう言う越権行為自体に、合法性・適法性がない。

ーーー
 省庁縦割りがいけないというのは、
 省庁毎に割拠して、何の連絡も取らなかったり、協議や協力もしなかったり、自省の利益だけ追求して、国全体の利益を考えないのは、「ダメ」、ということだ。
 
 決して、法務省が、外務省や経産省の業務を代わりに行ったり、または、逆に、外務省や経産省が、法務省の業務を代わりに行ったりすることではない。
 それなら、政府内で、そもそも、部門(省)を、分ける必要すらない。

 統合した政治判断をするところとして、内閣官房や内閣府があるのである。

ーーー
 これだけの政治外交問題なら、
 地検は、あくまで、純粋に法律論的に、業務を行い、それを会見で説明すれば、よかったのではないか?

ーーー
 その最終判断に関し、どうも事例が大きすぎて、上の本庁や政治判断の話になりそうで、
 地検として、後々の影響にあまりに責任が持てない、とても地検で最終決定する事例ではない、と判断する場合は、

 上級庁(本庁)に相談して、指示を受ければよかったのではないか。(その時点で、上級庁の最終判断になる。)。

ーーー
 その上で、上級庁(本庁)が、とても法務省内部だけで判断することではない、と判断したら、
 外務や経産と協議して、最後は、内閣官房に持って行けばよかったのではないか?

ーーー
 外交問題としても、ゆゆしき問題だが、
 それ以前に、国内の行政のやり方に、本当に、問題がなかったのか?

ーーー
 外交の話的には、日本と中国の法務制度・司法制度が違うことを、日本が、中国政府・中国国民に、説明できたのか、というところが、一つの論点だ。

 中国のエリートは、両国の違いを知っているだろうが、
 中国の一般国民に、日本での「投獄される」が、中国での「投獄される」と、同一視されていれば、

 それは、中国の一般国民にとって、「逮捕された船長が、どんなひどい虐待や拷問を収容所で受けているのか。」、と想像して、運動や暴動になる可能性はあるだろう。

ーーー
 しかし、日本が法治国家であり、法務省の刑事制度・収容所・司法制度も、これこれの整備が先進的になされている、と中国国民に無事説明できたとしても、

 今度は、中国国民の怒りが、日常の統治者の中国政府に向かうだろうから、

 中国政府は、余計なことをするな、と日本を攻撃しだし、情報も中国国民に伝えないようにしようとするだろう。

ーーー
 日本は、「国際法上の」領土問題はないという立場らしいが、
 

 中国が、自領だと言い出していて、それ故に、中国の漁民が、勝手に漁業を始めているのだから、
 

 米国に相談したり、
 国際司法裁に持っていって判断を仰ぐのも、ひとつの手段なのではないか?

ーーー
 元祖に負けず劣らずの「面子」になど、こだわっている場合ではないと思う。
 

 清朝が「面子」や虚栄にこだわって、どれだけ欧米列強相手に、大損をしたか、高杉晋作が上海で見て立て直したはずの日本が、
 
 今や、かつての末期の清朝と同じような態度で、旧帝国の現代日本が、「面子」にこだわっているように、見えてならない。

ーーー
 でないと、また第2第3の漁民が、中国政府が取り締まらない限り、また同じ様な事例を起こすだろう。

 (そもそも建前上、中国政府も取り締まれない・取り締まらないだろうし、在留日本人やレアアースを人質にこういう結果になれば、調子に乗るだろう。)

ーーー

結果、
 「ここの地域を開発して欲しいので、日本の技術企業に発注したい。
   →軍事施設を勝手に撮ったな。留置するぞ。」
 

 「レアアースを輸出しないぞ。」

 が、漁民が侵犯するたびに、発生することになる。

ーーー
 国力のパワーバランスで対抗できないなら、なぜ米国や国際司法裁判所に話を持って行かないのか?

ーーーーー

 追記;

 背景に政治判断があったのか、地検判断、または検察庁判断だったのか、いずれにせよ、

 政府は、記者会見を開き直し、発言を訂正する必要があると思う。

ーーー

 記者会見の内容だけなら、

 地検が、判断結果自体は、他の判例との比較で常識の範囲内かどうか、だが、

 判断材料や手法としては、地検の権限を越えて、本庁や法務省、外務や経産、首相や内閣官房の業務にまで、権限逸脱したことになる。

ーーー

 もし本当に、首相にしろ法相にしろ官房長官にしろ、自身の判断や、自身を含むグループ協議での判断で、政治決断した場合は、

 地検に責任を負わせる言動は、非常に無責任で、権限だけ行使して責任から逃げようとする、職責を果たしてない行動になる。

ーーー

 検察本庁が、那覇地検の担当者に、上層庁の権限で指示したなら、

 政治家が地検に責任を負わせるよりはましだが、

 直接の表の指令なら、検察本庁自体が、記者会見しなければならない。

 

 (もちろん、検察内部での、上下の権限のあり方の問題にもなっていくが。)

ーーー

 純粋に、那覇地検の判断なら、検察の業務でない外交や貿易の話は、釈放の説明に一切不要である。

 もちろん、検察本庁や法務大臣・法務省の会見であっても、外交や貿易の話は、業務外なので、不要である。

ーーー

 どうしても外交や貿易の話を、政府が、地検の釈放判断にからめて記者会見したい場合は、

 やはり首相や内閣官房長官、せいぜい内閣官房の政務or事務スタッフが、記者会見しなければならない。

ーーー

 いずれにせよ、記者会見に関しては、

 業務外のことをする(地検や本庁の判断だった場合。)、

 もしくは、業務内のことをしない、(内閣官房の政治判断だった場合。)

 これは、公職として云々以前に、金をもらう職業人として失格である。

 緒方貞子氏の、JICA理事長としての解任と、JICA解体の必要性について。

 やはりJICA理事長の緒方貞子氏は、公職者としてダメだと思います。

 政府は、この人物を、甘やかしすぎています。

 たしかに、この人物の曾祖父の犬養毅氏が、昭和維新と風潮されていた時代、顕著な観念右翼や国家社会主義の、貧しい寒村出身の青年将校達に暗殺されたのは、事実です。

 しかし、「悪い事例の正反対=いい事例になる。」とでもいうのか、

 曾孫の緒方貞子氏のやることは、曾祖父の復讐や反動なのか知りませんが、

 狂信的な左翼主義・国際援助主義の元、公正な手段で選ばれていない甘やかされた、正規公務員に合格する知力のない、準・エセ公務員の、中年若者のJICA職員を使って、

 ろくでもない財政浪費ばかりしています。

ーーー

 正規の公務員試験に、たしかに、過当競争や過剰な試験システムがあるのは事実ですが、

 それでも、そういう無味乾燥的な統一試験が持つ唯一の正当性として、

 「選別の公正さ」が担保されているのは、事実です。

ーーー

 上司とのコネ次第でどうにでもなる、大学教員の世界で生きてきた人物には、

 やはり、選別の公正性で、問題があります。

 JICAでも、労組の投票で選ばれた、など、論外です。

ーーー

 民主党の外務副大臣・政務官はもちろん、岡田外務大臣も含めて、

 彼らの先輩の石井紘基氏が、独法の前身の特殊法人問題を調べている頃に暗殺されたこと、を忘れたのでしょうか?

ーーー

 国粋主義や軍国主義は、もう50年以上前に合衆国に潰されましたが、逆の国際主義や援助主義をすれば、日本は良くなると考えるのは、あまりにも短絡的です。

  

 自国の利益だけを、武力や経済力で追求していると、弱い国相手には得をするが、合衆国のように強い国・中国のように広い国とぶつかると、負けたり泥沼になって、かえって損をする。

 しかし、外国の利益におもねって合わせてばかりいると、合衆国のように強い国・英仏や産油国のように豊かな国相手には、気に入られて得になるが、

 弱い国・自国の内政もきちんと出来ないめちゃくちゃな国、非常に貧しい国には、いつもたかられて、中国や北朝鮮のように恫喝や脅迫する国まであって、かえって損をする。

ーーー

 ようは、相手によってどっちのやり方が得になるか損になるかで、使い分ける「手段」のひとつでしかないのに、「国際主義・援助主義」を、金科玉条のように信じ込んでいる。

ーーー

 そして、JICA職員達や契約職員達は、

 対応する途上国の地域フェチなら、たいして苦でない、途上国相手の折衝や滞在さえこなせれば、あとは楽な業務で高給を得られる制度の下、

 存在自体が、税金の無駄遣いそのもの(事業費だけでなく人件費も。)となっている。

ーーー

 これは協力隊でも同じだが、

 それ以上の問題として、

 特殊な民間企業が、ODA予算に群がっている。

 

随意契約など論外だが、たとえ一般競争入札でも、

 そもそも本当にそんな業務を日本政府がする必要あるのか、といった内容まで、

 JICA役職員が己等のポストと所得維持のために作ったり、

 またはODA企業が、JICA職員・または世間知らずの純情な国会議員をつついて、JICAに無駄な業務を作らせたりしている。

ーーー

 与野党の国会議員の方々様は、JICAの事業に無駄がないか、きちんと政務職や政調で、調査して下さればと思います。

 また、小沢先生が危惧されているように、

 自民党時代の政調のように、政調が、行政府の政務職を無視して、立法府である立場を逸脱して、行政に介入する族議員の巣窟にならないように、

 あくまで、「行政府の執行職の政務職」、「立法府での政党の政調」の役割権限の分化を厳密にして下さるよう、特に与党はお願いいたします。

ーーー

 また、緒方貞子氏は、解任して下さりますよう、よろしくお願い申し上げます。

 

 JICAも早めに解体して、外務本省の国際協力局で、正規の公務員で、業務を行うよう、制度を変えて下さりますよう、よろしくお願いいたします。

 JICAやJICA傘下の財団、国際交流基金の廃止の必要性について。

外務副大臣

武正 公一 埼玉 衆 民主

藤村 修  大阪 衆 民主

外務政務官

吉良 州司  大分 衆 民主 

西村 智奈美 新潟 衆 民主

---

この4人の方々、全てがJICAやJICA傘下の財団、国際交流基金を担当されているわけではないだろうが、

 特に担当を外れているわけでなければ、相当頭が悪いのか、怠け者なのか、あるいはその両方なのではないか、と疑っています。

 鈴木宗男氏の判決で気づいたのですが、もう1年以上も、かれらは政権の要職として実働をしています。

ーーー

 なのに、JICAは時間がかかるにせよ、JICE一つ潰せていない。

 JICE一つ潰せば、協力隊並みの100億以上が確保できるのに。

 他にも、対途上国の外交系(ODA系)の財団がいくつかあるが、それも潰せていない。

 

 対先進国の外交も含むが、JICAと対の独法の国際交流基金など、これも年175億、規模ばかり大きくて無駄の典型だが、これも潰せていない。

ーーー

 この方々(副大臣・政務官)、税金から政務職分の給料もらっているのに、自身が税金の無駄になってばかりで、たいして仕事していないのではないか?

 どの業界どんな仕事でも同じだが、大人なら、「結果を出してなんぼ。」だ。

 「結果出ませんでしたが、努力はしました。」云々は、児童が小学校中学校の先生に慰めてもらえる水準だ。

ーーー 

 これまで、ただの役人と違い、

 政務職の方々には、党派にかかわらず敬意を持って、丁寧語や敬語で表現してきたが、彼が彼女らが、仕事しない、仕事が出来ない、なら、やはり「こいつら」扱いもしたくなる。

ーーー

 菅首相が言うように、たしかに法制度の点で、国務大臣一人では物事が動かない点もあろう。

 しかし、首相や党幹部の協力が必要なら、厚生大臣の時の菅首相のように、必死に上司や幹部同僚に説明して、行動したのか?

 それで上司や幹部、または同僚に、意見政策を潰されたなら、自身のホームページなり、党のホームページなりで経緯を説明すればいいじゃないか?

 そういう形跡がない、と言うことは、結局、

 副大臣も政務官も、省内に机と部屋をもらったら、あとは名刺と給与明細を眺めてにんまり満足して、セレモニーだけをこなしているのでは、と疑われてもやむを得ないのではないか?

ーーー

 JICEなんて、外務省やJICAからの仕事を与えなければ、または百歩譲って完全競争入札にすれば、すぐ干上がって、リストラして倒産します。

 自由な経営のはずの民間財団が、事実上の政府業務の下層部分になっている、この現状は、非常に異常です。

ーーー

 世の中には、

 A;

 強い行政権を握り、国内に競争相手の同業他社も存在しないが、

 厳しいルールの元、人事も施行も国民に監視管理される、国民の税金で運営される、「公的行政機関」。

 B;

 あくまで大枠は法律の範囲内の自由だが、法律の中では比較的緩いルールの中、自由に設立・運営される、市場競争を通した独立採算の、「民間法人。」

 この2つ以外は、あってはならないのです。

ーーー

 B;「民間法人」の亜流派生に、「学校法人」「宗教法人」「医療法人」「社会福祉法人」「NPO法人」などがあり、これは、会社法とは違うルールなので、法律の範囲内の、大枠の自由の内容が、それぞれ違います。

 それでも、これらB;「民間法人」の亜流派生法人も、同類同士では、「市場」を通して「競争」して、公的機関以上の「自由」を得る代償として、「独立採算」の中、運営されなければなりません。

ーーー

 その点で、「公益法人」「財団法人」は、本来、B;「民間法人」の亜流派生でなければならないのですが、

 どうも「市場」を通して「競争」したり、自由を得る代償のはずの「独立採算」をしたりは、していないのです。

 どうも、

 市場競争にさらされず、独立採算で金を回していない点で、「行政機関」の類似版でありながら、国民の税金も省庁経由で受け取りながら、

 人事や施行が国民に監視管理されているか、では、「行政機関」と異なり、

 国民に監視管理されず、「自由に設立・運営」されているのです。

ーーー

 民間法人の、ワタミや京セラやANAが、「公益」には貢献していない、とでも、いうのでしょうか?

 事業仕分けでも仕分け人が言っていましたが、仕分けでの独法財団の言い分を聞くと、「何か民間企業が悪いことをしているかのように」言われるケースが、確かに出てきます。

ーーー

 もちろん、本当に何か、一定以上の問題がある民間企業を、規制したり罰することは、行政機関の重要な仕事です。

 しかし、財団とか公益法人とかが、存在する理由は、いったい何なんでしょう?

 蓮訪議員風に言えば、「なぜ民間法人の株式会社ではいけないのですか?」と、なる、財団・公益法人ばかりです。

ーーー

 独法財団にいる、本省正規からの天下りの老人・中高年には、

 本省や直轄機関に戻して、月25~30万ぐらい払って、窓際の小さな机とお茶を与えて、権限は無いが顧問的・自主研究的な仕事でもさせておけばいいのです。

 (ただし彼らに家のローンは組ませないようにする。既に組んでいたら解約転居を条件にする。

 子供の2人目は作らせないようにする。すでにいたら、奨学金もらえる秀才でなければ、私立はあきらめてもらう。)

 後のプロパーは、きちんと退職金と雇用保険を払ってあげて、解雇すればいいのです。

 その案を、天下りかプロパー、もしくは双方が呑まないなら、

 国税原資の財産を全額返納してもらった後で、民間法人の株式会社になってもらって、自由に経営してもらえばいいのです。

ーーー

 なんで、副大臣や政務官が、

 こんな簡単なことからすら出来ずに、無駄な財政浪費と公金垂れ流しを放っておくのか、本当に理解できません。

ーーー

 一時的に失業者が、プロパーに出ることが何だというのですか?

 近年の不況で、若者だけでなく、中高年層の方々でも、民間法人から廃業失業して、再就職や求職活動している人たちが、どれだけいると思っているのですか?

 なんで、独法や財団だけ、国は甘やかすのですか?

 ふざけないでください!いい加減にして下さい!

ーーー

 私が個人的に少し知っているだけでも、

 理由は詳しく知らないが経営していた製造業の会社をたたんで、

 運良く比較的に優良な地域流通企業に再就職できたものの、同世代の社長・息子程の世代の部長の下で、一から働き、最近ようやく課長になれた中年層の人。

 

 サービス業の会社を経営していて、理由は詳しく知らないがたたんで、

 息子ほどの世代の、別種のサービス業の社長の下で、あまり社長との相性も良くない人間関係で、評価されずに怒鳴られながら働いている高年層の人。

 会社のリストラか何かで転職して、同世代のサービス業の社長の下で、寡黙に働いていて、しかしなぜか知らないが同僚の中年女性に些細なことで怒鳴っていた中年層の男性。

 その同僚の中年女性自身も、元はレストランを地元で経営していたが、たたんで、別のサービス業でアルバイトしていた。

こういう、中高年失業者の中でも、比較的運の良い人、比較的運の悪い人、平均的な人、人生それぞれ、多くいるのです。

ーーー

 本当に菅首相が、良質な穏健左派、小沢氏が、良質な中道リベラルなら、

 民間法人から失業した、一般的な多数の、若者や中高年の、再就職・求職中の生活について、それなりの社会保障政策を講じる。

 そして、それと同様の社会保障政策が、セーフネットとしてあることを理由に、

 容赦なく、独法財団の、若者から中高年まで、税金の無駄使いになっている職員達を、リストラさせるべきじゃないですか?

ーーー

 もし公職労組に反対されるから、それが出来ないというなら、

 連合を、民間労組連合と公職労組連合に割って、民間労組連合のみを母体に選ぶ、その意志も度胸も責任感もないなら、

 民主党も、幹部も、大量のチルドレン達も、もうダメだと思います。

 

 いくら少数の優秀な人間が、400人のうち、10人や20人くらいはいても、

 この4年限りの、ちょっとやってみた行革の、失敗政権で、終わり、

 去年の自民党の2の舞になると思います。

ーーー

 公費で海外勤務・出張する公務員への、合衆国勤務滞在経験の義務づけの、必要性について。

 外務省ネタに戻る。

 以前、佐藤優氏が書いていたが、

 貧困層などから、奨学金で苦学して国立大を出て、外務省専門職になった人が、「人生初めての外国として」、いきなり中東担当で中東に数年派遣されたら、過激なアラブ原理主義者になって戻ってきた、という傾向があるようだ。

ーーー 

 協力隊の傾向を見ると、これは、上の外務省から下のJICA協力隊に至るまで、共通する危険性だとわかる。

 (別に中東の事例に限ったことではない。中南米なら過激な中南米原理主義者、アフリカなら過激なアフリカ原理主義者になって帰ってくる、ということだ。)

 本当に、こういった博打制度は、改めなければならない

ーーー

 ルールとして、

 今後、公費で海外に出される人は、正規国家公務員であろうが、外務省系統の独法財団だろうが、

 「絶対に、」まずは、合衆国に、公務や公共事業で派遣、勤務滞在して、

 その合衆国滞在経験と、同じや見合った期間だけ、別の国に派遣する。

 そういう制度に替えた方がいい。

ーーー

 具体的には、

 合衆国以外への1年以内派遣なら、派遣と同じ期間の、直近5年間での、20歳以降の合衆国での勤務滞在の経験。

 合衆国以外への1~3年派遣なら、最低1年以上の、直近10年間での、20歳以降の合衆国での勤務滞在の経験。

 これの義務づけの必要性。 

ーーー

 一人当たりの予算は高くつくだろうが、

 やはり公費で送られる人の立場や職業教育や人生への影響、

 そしてそれを税金で支える国民が、帰ってきたその派遣者から受ける影響や利害、

 これを考えると、

 やはり同盟国の合衆国での勤務・滞在経験のない人物に、より難易度の高い、他国派遣を与えるのは、百害あって一利なし、だ。

ーーー

 これは、中国専門や韓国専門にする人を派遣する場合も、公費派遣は、手間がかかっても絶対にそうする必要がある。

 日米同盟が続く限り、公費では、それはそうする必要がある。

 それが面倒で嫌な人は、公費での仕事に向いていないし、民間で活躍すればいい。

ーーー

 合衆国の勤務生活でさえ、異文化の勤務生活に適応できない人物が、なんでより難易度の高い、欧州やアジア中東、挙げ句の果てには中南米アフリカに、滞在業務出来るものか!

 なかには奇人変人もいて、中南米やアフリカなら適応できるが、合衆国には無理、という少数の人もいるかもしれないが、そういう人は、日本国の公職に縁がなかったのだから、民間外交で食べていくか、別の国に帰化すればいいのである。

 少数派は少数派らしく、民主主義社会の中では謙虚におとなしく、最低限の権利で我慢して満足しなければならない。

ーーー

 このやりかたにすると、そうそうこれまでのように「下手な鉄砲も数打てば」的な、大量の人材の、安易な公費派遣、無駄打ち派遣は、できなくなる。

 だが、それでいいのではないか?

 協力隊の最盛期のばらまきでさえ、年間2,000人だ。

 つまり、「外交」という仕事は、(対途上国分野は、「国際協力」などと言葉の言い換えでごまかしているが、)、もともと人材の大量派遣には向いていない業界なのだ。

 高度成長期に国内で土建産業を大量に増やす、最近なら農業・医療を大量に増やす、こういう産業育成方法とは、「外交(国際協力という言い換えも含め)」は、全く別物で、

 やはり選ばれた少数による、「貴族の仕事」なのである。

 非世襲の民主主義の時代だから、国1を通った正規公務員が行う。それも戦後のドミニカ移民派遣のような詐欺失政は論外で、彼らも、主権者の国民の利益・民衆の利益のために業務を行わなければならない。

 しかし1億3千万の民衆自身が、直接、外国に行って、「外交」に関われるわけでは、もちろんなく、それは物理的に不可能である。

 

ーーー

 国1と国2の区別、外務省なら国1と専門の区別については、昇進差別問題として課題となっているし、佐藤優氏も、問題提起している。

 しかし、昇進を同じにするなら、そもそも試験を分ける必要もない。片方を比較的安易な試験にする必要もない。

 昇進や業務内容をまったく平等にしたら、ハードルが高い試験を受けた方が、逆に骨折り損になるのも、事実なのである

ーーー

 ただ、専門職だからといって、それが韓国語の人だから合衆国を知らなくていい、アラビア語の人だから合衆国に勤務しなくていい、

 そんな制度のままなら、国民にとっては、

 とても彼ら専門職を昇進させての、政策決定や企画の業務には、「危険すぎて」つかせられない。

 それなら、やはり専門職は、下っ端の通訳翻訳専業員として、名目上だけは外交特権を外交官として与えられるが、実質は上の国1の指揮に従って、「言われたことだけをやってください。」「狭い専門部署に一生いてください。」となるのは、国益や国民のためにも、当然である。

ーーー

 だから、本質的に、専門職の待遇改善のためにも、(もちろん、そもそものハードルが違う国1と完全平等にする必要はないが、)

 彼らを、まず合衆国で経験を積ませることが、より少しは権限と責任の高い仕事を与えられるような人材育成のためにも、たとえ時間と費用はかかっても、必要なのである。

ーーー

 JICAや財団などは、公務員の正規でないし、入口も公職としての公正でないのだから、

 基本的に無任期はアウト、3年の全員任期制(連続再任不可、同期1割の優秀のみ2年延長を一度だけ可)にして、

 参議院議員制のように時期を分けて何度か入れ替える制度にしなければならない。

 それにより、より多くの国民に、「雇用」や職務経験を提供できる組織にする。

 そして、あくまで臨時的に膨らんだ外務省の行政事務の下層部分を、臨時的に下請けする組織に、替える必要がある。

 その上で、外務省正規より安い給料と経費、短い派遣期間で、「合衆国勤務→それ以外の国勤務」、を外務省の監督下でさせる必要がある。

ーーー

 もちろん、国1のエリートなら、合衆国東部のエスタブリッシュな地域(ワシントンDC,ニューヨークなど)、専門職なら中北部やテキサスなどの中堅地域、独法財団など臨時の使い走りなら、太平洋岸の安くつく地域、に勤務滞在先を分けることも当然だ。

 もちろん、独法のJICAごときが、DCやNYに事務所を持つ必要はまったくなく、事業仕分けが見落としても、即刻廃止すべきである。

ーーー

 とにかく、外務省系統の人事制度は、欠陥だらけの不良品です。

 国家と国民に、人材面での「下手な鉄砲」の「弾の無駄遣い」で、多大な経済的負担をもたらし、「実害」「損害」「加害」「損失」、はっきり申し上げて非常に「迷惑」を与えています。

ーーー

 養成に多少手間と時間がかかって、小数になっても、精鋭制度への変更が、必要です。

ーーー

 岡田外相や副大臣や政務官の方々様は、是非鉄槌を持って、改善して下さりますよう、よろしくお願い申し上げます。

 マニフェストについて。

 マニフェストとは、約束である。

 

 ある党の衆議院選挙のマニフェストは、その党の衆議院議員を、原則的に拘束する。

 同じ党の参議院選挙のマニフェストは、その党の選挙時の参議院議員を、原則的に拘束する。

 それに基づいて、議員は、所属する院で、自らの選挙時のマニフェストに乗っ取った、または修正した政策を、立法審議すればよいのではないか?

ーーー

 だから、衆議院の民主党議員が、09年のマニフェストに、まず第1義的に縛られるのは、当然だ。

 もちろん、修正したければ修正すればいいが、それは幹部やスタッフそれぞれの自己責任だ。

 参議院議員は、10年のマニフェストを、まず第1義的に目標にし、それに沿って立法審議するか、または修正するか、自己責任ですればいいのである。

ーーー

 ある意味、菅首相が、財政的に破綻する可能性が高い、小沢氏の09年マニフェストを、09年マニフェスト自体の主要な責任者でもないのに、丁寧に現実的に、次の選挙以降の党の存続も考えて、衆議院でも修正している要素がある。

 物の道理で言えば、菅首相の10年マニフェストで動かなければならないのは、民主党参議院の今回選挙分の議員だけである。

 菅首相が、09年議員に対し、たとえ3ヶ月前の代表選で党首として信任されたとはいえ、10年参院マニフェストを無条件で強要する道理はない。

ーーー

 先の記事にも書いたが、

 小沢氏の最大の強みは、民主主義の原点である選挙において、優越議会である衆議院の09年マニフェストに、そうとう関わっていた点、そして今もそれに沿った政策を求めている点にある。

 矛盾マニフェストであろうが、非現実的ファンタジーマニフェストであろうが、たしかに国民の多数派は、それを支持・命令したのである。

 (09年では、私は選挙区は自民党候補者、比例はみんなの党に書いた。)

ーーー

 だから、原理主義的に言えば、小沢氏は、もし首相になれたら、09年マニフェストを木訥に遂行し、何が何でもその通りにやり、または結果的に物理的に不可能なことであってもやろうとし、

 その結果、3年後に全責任を負って、私の予想ではその時、または少なくとも次々回や次々々回の選挙時期までにおそらく、欠陥マニフェスト製造者または詐欺師扱いされて、政治生命自体を絶たれる可能性が高いが、

 たとえ玉砕しても、自分たちの責任で作ったマニフェストに殉じるべきなのである。

ーーー

 ただ、それでも、菅首相の政策には、財政再建では成功しても、行革にも成功するか、むしろ消極的になるのではないか、との危惧が、自分や、みんなの党系、自民党など他党系の人々にあるのは事実である。

 自民党保守派には、経済対策や景気をどうするのだという、不安もある。

 

 菅首相は知能も高く算数が出来る穏健左派だが、

 あまりに知能が低かったり狂信者だったりして算数すら出来ない極左には、財源が打ち出の小槌のようにどこかから降ってくると信じていて、もっと左派的な政策が出来るのではないか、と不満に思っている者もいるであろう。

ーーー

 そのあたりの事情で、右派の他党派や無党派層が、小沢氏に対し、彼が財政をさらに悪化させるのでは、という危険性を感じても、

 あの剛腕小沢氏なら、行革や景気で何かやってくれるのではないか、

 という期待感を、行革派や景気派に抱かせている要素がある。

 もっとも、かつて政略に明け暮れた小沢氏が、本当に政策で何かやってくれるかは、本当に未知数で、リスキーな点も充分ある。

 また極左は、一見菅首相より右派的な小沢氏を警戒しつつも、堅実でやることがだいたい見えてわかる菅氏よりも、近年の小沢氏を見ていて、理想を追いすぎてユートピア左派的なことをしかねない点や、結果で失敗しそうな小沢氏により、世論の振り子がまた更に左派にぶれることを期待している。

ーーー

 原理や道理で言えば、

 衆議院の09年マニフェストの責任者の小沢氏鳩山氏が、解散するまでは、やはり責任者の立場で、たとえ玉砕してもマニフェストに殉じるべきである。

 菅首相のやっている政策が、財政面でいくら良心的で堅実な財政再建路線であっても、国民の多数派は、詐欺に遭う矛盾だらけのばらまき09年マニフェストを、自己責任で選んだ。

 だから、

 当時からの民主党員、すなわち、連合や自治労や日教組や非労組の民主党員は、

 責任を負いながら、3年後や数年後の将来に全責任を負う形で、小沢氏を支え、

 一蓮托生で、繁栄できる間は政権を謳歌し、下野して政権が滅びる時は、共に滅びるべきなのである。

ーーー

 現実を見れば、菅首相の政策の方が、財政再建には、比較的安全である。

 小沢氏に権力を預けることは、ギャンブル的要素が確かに高い。

 

 しかし、今の日本の制度では、やはり優越院である衆議院の選挙を制した者、または衆議院の選挙のマニフェスト、これが国民が選んだ権力者や方針なのだから、

 菅首相が小沢氏に勝つ方法はやはり、「男らしく」衆議院を解散して、公認で財政再建の踏み絵を踏ませるか、相手が応じなければ岩手にまで菅派の刺客候補を送って、

 多数の自派閥を中心にし、いくつかの政策の近い他派閥と衛星的に同盟した、党内安定多数派の、政権基盤の基本を作るべきなのである。

ーーー 

 これまで、小さな派閥で十分としてやってきたなら、やはり大派閥の影響や圧迫にさらされるのは当然だ。 

 操り人形や、外面のよい表看板程度にされても、文句は言えない。

 それが嫌で、しかも解散も勝負もしないというのは、これでは「女の子のままごと遊び」だ。

ーーー

 万一菅氏が代表選で負けた場合、もし法律的に可能なら、首相である時間内に衆議院解散をする方法も、まだありうる。

 そこまでして、菅氏が小沢氏と戦うか、これは自民党の世界なら、ありうるケースである。

 または、自民党と違い、非権力的・悪く言えば無責任的な、民主党の権力闘争の伝統で、

 どのみち誰が代表やっても、ある程度の期間ですぐ辞めて入れ替わるだろうから、待ってればまた人生に数回は順番がくるだろうから、菅氏はいさぎよく辞めてその上でまた順番を待つのか。

ーーー

 逆に菅氏が勝っても、小沢派が党内多数派で止まった場合、代表選前よりは、修正主義・財政再建路線を小沢派に強く説得でき、進めやすくなるが、結局、「小沢派のための、クリーンな表看板」のままの状態が、菅氏には続く。

 唯一別の道が、勝った上で、小沢派を引き抜いて自派閥を拡大することだが、

 これは国会の選挙にかかわらず、党内の選挙の勝った負けたや、党内の派閥人事抗争で、政策や国会内の人事を入れ替えることの常道化につながる。

 それは、度が過ぎれば、公職選挙で投票した国民を欺くことになるし、間接民主制を越えて直接議員制、挙げ句の果ては、直接党員制、になっていく、悪い前例になり得る。

 今は簒奪する方でいいかもしれないが、そのやり方が常道になると、今度は下の者が自身に対して同じ事を「普通の感覚」でやってくるようになるので、今後の、諸政権の安定化には、きわめて不都合なことになる。

ーーー 

 衆院選の時に、党内の責任者でなかったなら、責任者が引退病気死亡するまでは、やはり責任者に従うのが、本来の常道だ。

 その上で、危急時などに、それを待てずに下克上するなら、普通は離脱分党するのだが、

 菅首相の場合は、自身が解散権を持つ本来トップの正規首相であり、相手は上皇や闇将軍の様な存在なのだから、

 やはり正規の手段である解散総選挙を、使うべきなのではないだろうか?

 民主党の代表選について。

 (久しぶりに政略の記事を書いてみる。)

ーーー

 私は民主党員ではないから、民主党の代表選は対岸の火事で見ている。

 ただ、なぜこういうことになったかというと、小沢氏本人の行動(起訴対策も含め)にも原因はあろうが、
 それ以上に、菅「派」執行部の、小沢「派」への処遇に、原因があると思う。

ーーー
 ちなみに、
 グループという、単なる言葉の言い換えは、私は好きでないので使わない。
 所詮「派閥」に変わりない。

 もちろん、自民党のように、大小関わらずの決定毎や、業務時間以降の人付き合いまで、がっしり人間関係を締め付ける堅い分派集団よりも、
 民主党の派閥は、同好会的な緩い分派集団であることは、承知している。

ーーー
 本当に、菅首相や菅派が、
 「小沢派には、数は多くてもたいした人材がいない、派閥内のよほど優秀な少数の若干名でさえ、政務官や、党中堅ポストや、委員会理事程度の能力しかない。」
 そう認識しているなら、

 その認識を持って、小沢派に、「だから、能力主義の点で、大臣や党幹部ポストや、委員会理事長ポストはあげられないのです。」
 と、はっきり言えばいいのである。

ーーー
 もちろん、そういった菅派の小沢派に対する認識自体が、事実関係で真実かどうか、の問題はあるが、
 
 菅派の認識に小沢派が納得できず、「安く見下げるのもいい加減にしろ」と思うなら、

 それはもう、能力に関する判断や価値評価自体で、両派閥は異なるのだから、
 
 それだけ判断や価値観が違うなら、
 もう同じ党の別派閥という次元よりも、他党、といった距離である。

 それなら、嘘の元の虚構の友情ごっこをするのでなく、たしかに、はっきり正直に、分党すればいいのである。

ーーー
もちろん、菅首相が記者会見で言っていたが、
 もし本当に小沢派が、能力がある人物が少ないにかかわらず、数が多いから、「数は力」だから、いいポストをよこせ、と能力主義での分相応以上に言っているなら、それは、
 小沢派が、民主主義とはいえ、欲を張りすぎていることになる。

ーーー
 この場合は、菅首相は、小沢派と分党して、他の党と小沢派を天秤にかけて交渉するか、
 または郵政解散のように、解散権を使って、選挙で菅派の直属議員を増やすしかない。

 しかし、今のところ、菅首相には、厚生大臣の頃からの頭の良さと意志の強さはあっても、小泉首相のように賭けをしてでも勝負に出る度胸は、みられない。

 (それどころか解散しないなどと、自分の一番の力を封じるようなことを、新人議員に約束すらしている。)

ーーー
 一方で、
 もし首相や菅派が、小沢派に、個々人の能力で評価している人間がいるにも関わらず、
 政治と金問題を解決していない小沢氏本人ならともかく、小沢派の面々に対してまで、
 「あいつら小沢派だから。」と冷遇して、能力にみあったポストを与えないなら、

 その場合は、菅首相や菅派の器があまりに小さいことになるし、同じ党としては、結束を維持できなくなる。

 少なくとも小沢派が分党に向かうか、小沢派が下克上に出てくるのは、防げなくなる。

ーーー
 小沢派に、司法資格を持つ仙谷氏や枝野氏(いわゆる相当な知力エリート)、前原氏・岡田氏・蓮訪氏、いまのところ中立の原口氏のような、野党時代から表によく出ていて華のある、一定に平凡以上の実績も見せている、そういう人物があまりいないのは、党外の私にもわかる。

 ただし、それで小沢派に本当に人材がいないのかは、党外人には、よくわからない。

ーーー
 一番の問題は、菅派が、
 昨年の選挙の300議席の衆議院議員を使って、今後の過半数未満の参院とのねじれ国会を乗り切ろうとしていて、

 その、「300」が、郵政選挙後の小泉首相のように、自分の力でもぎ取ったものではなくて、
 安部・福田・麻生政権のように、他人の力で得た議席で政権を運営しようとしている、
 そのことだ。

ーーー 
 しかも安部政権から福田政権までは小泉派と大きな点では対立せず、

 麻生政権は、予算で緊縮財政から離脱(小泉政治と離脱)したが、選挙が近く、外的にリーマンショックでどたばたし出して、参院で民主党に押されて党内が圧迫されていたから、党内抗争自体はぎりぎりで乗り切ることができた。

 (結局選挙で、政党政権自体が崩壊したが。)

ーーー
 つまり、菅氏は、小沢氏の力を、すくなくとも党全体の力の半分以上は使って、300を得ていて、
 その300をこれから使っていこうとしながら、小沢氏や小沢派を冷遇や排除しようとしている。

 それが能力主義に基づくものなのか、政策的に他派閥だからなのか、人間関係の好き嫌いなのか、
 十分に、菅首相や執行派閥が、他派閥や党員に説明していない。小沢派を説得していない。

ーーー
 原因が能力主義でありそれが真実をついているか、または政策的に他派閥なので調整しないからなのか、または人間関係の好き嫌いで冷遇しているのか、
 その原因の違いにより、小沢派と菅派のどちらにどの程度非があるかは異なってくるが、

 いずれにせよ、
 融合する努力や行動もせず、かといって分党もせず、

 しかも解散をしないで、現有の派閥構成を維持したまま、
 代表戦だけやろうというところに、
 なにか民主党の限界、今の2人ライバルの限界を感じる。

ーーー
 解散をすれば、はっきり勝ち負け、表裏が出る。

 打ちのめされたほうは、岡田氏は、郵政選挙で負けた当事者でもあり、ある意味、自民党内抗争への不思議な傍観者の立場でもあったから知っているだろうが、それでもはっきりすっきりはする。

ーーー
 このまま菅首相が勝って、小沢派の一部を、ポストや利で引き抜くことをしても、

 相当、敗者の側、小沢派で小沢派に残る人たちには、陰湿な勝負の分、遺恨が残る気がする。
 もっとも、みんなの党や自民党には、ここに引き抜きで付け込む隙がありうる。

 またはもし小沢氏が勝ったら、1ヶ月の期間しか選挙前の実働をもらえず、ほとんど鳩山派と小沢派の政治の責任を取らされる菅派は、どうなるか?
 頭を下げて小沢派からポストをもらうのか、それとも分党するのか、これは自分にもわからない。
 分党するなら、自民党というよりは、みんなの党に近づくのか?または社民党に近づくのか?

ーーー
 菅首相には、今現在、以下の方法が残されていると考える。

 まず、
 なぜ小沢派に有力ポストを与えないのか、
 理由を十分、党内で、議員や党員に説明すること。
 
 その上で、能力主義が原因なら、いちおう小沢派への説得を試みること。

 それでも、小沢派が納得しない場合、またはもう政策的に小沢派とは同じ党では物理的にやれない場合、またはどうしても好き嫌いで能力にかかわらず小沢派にポストをやれないなら、
 小沢派と、分党して、他党と連携を模索すること。
 または、直属議員を増やすために、解散に打って出ること。

 自身が首相にとどまって、政策政略両面で、クリーンな政治を行うには、これしかないのではないか。
 国民の支持が一番の味方という点では、かつての小泉首相と同じだ。

ーーー
 小沢氏自体にも、竹下氏と同じで、いろいろ過去に上司と下克上で争った政略の経歴があるようだが、
 今のやり方だと、菅首相は、たとえ勝っても、

 他人の力で得た議席数を、その他人本人と戦って相手を倒して、自身のものにして、(代表戦後、どのくらいの数を、自身のものにできるか分からないが)
 そのままその議席に乗っかって政治をとろうとする、

 政略面での「簒奪者」的な胡散臭さを、背負うことになる。
 もちろん、これは、菅首相の政策や、政策でのクリーンイメージへの評価とは、別の話になるが。

ーーー
 それでもある程度の数を維持できれば、当面の政権は維持できるだろうが、

 岩手や小沢派が残る地盤は、みんなの党が進出したり自民党が巻き返してくる、3年後の選挙に向けた他党の橋頭堡になっていく可能性がある。

 この傾向は、小沢氏が勝って菅派が分党を選んだ場合も、逆の意味で同じになる。すなわち、武蔵野や菅派に残る議員の地盤は、他党の影響にさらされることになりうる。

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