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 重度の知的障害者の、中絶や、義務教育以前の最速の安楽死の、法制度導入の必要性について。

 たまに重度の知的障害者を、電車の中で見ることがある。

 一度は、中央線で、20~30代の重度の知的障害者と、男性の中年の福祉職員2名(うち1名は父親かもしれない。)

 もう一度は、地下鉄で、やはり20~30代の重度の知的障害者と、家族らしき母親と姉か妹が計2名。

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 自力で日常行動しているような、より軽度な知的障害者や、ボーダー者は、街中のどこかの施設で、たまにだが、重度よりは頻度が高く、見かけることがある。

 軽度の知的障害者特有の行動で、赤の他人に非常識に話しかけてきて、こちらが迷惑することも、頻度は低いが、ある。

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 協力隊のような、末端の組織になると、もちろんまともな人間も入ってくるが、一部ではJICAや業界団体のコネがきくらしいし、かなりボーダーな人物も、たしかに同僚にいた。

 民間でも、衰退企業には、そういうボーダー者が、たしかにいた。

ーーー

 自分の世代は、義務教育時に、まだ障害者を、厳密に、一般学校から離して、養護学校に囲う時代ではなかった。

 だから、小学校の同級生に、専門的な程度の重軽はわからないが、その当時で、1~2才程度の知能と思われる、障害を持った同級生もいた。

 中学か高校の時に、同じ中高の地元の同級生と、地元の公園で遊んでいると、その障害児の元同級生がたまたま来て、共に少し話したか遊んだ記憶もある。

ーーー

 だから、実際には、子供の頃から名前も含めて人として知っている障害者と、

 最初の記述のように、電車や街で見るような、一般的な赤の他人の障害者では、もちろん、感覚的に、違う。

ーーー

 ただ、その上で言えば、

 電車や街で見たような、一般的な赤の他人の、重度の知的障害者を見るとき、

 やはり、どうしようもない「違和感」を感じるのは、「事実」である。

ーーー

 要するに、自然界なら、とうに死者であるはずの生命体が、その年齢まで生きていないはずの生命体が、そこに生きている、「違和感」というのであろうか。

ーーー

 人助けが、趣味的に極度に「大好き」な人が、世の中に、少数派とはいえ一定数いることは、私も、この年までの人生経験で知っている。

 

 そう言う人たちには理解できないだろうが、

 また、私も協力隊に2年いたぐらいだから、人助けに全く興味がない人間ではないが、それでも、

 

 やはり、一定以上に過剰な「人助けの強要」は、

 もちろん公共負担なら私も負担を強いられる故もあるが、

 やはり私個人としての「生理的本能」「個人の自由」や、

 私が理解し、党派的に求める範囲での、社会という個々人の集団の、平均的・現実的な「脳知能」「社会性」の点でも、

 「おかしい」し、「間違っている」と思う。

ーーー

 「あー」とか「うー」とか言うだけの、1~2才児の脳のまま、「本能」と「個人の自由」のまま、生きている「大人」の、重度知的障害者をみて、

 本心から微笑ましくいられる一部の健常者がいても、それはそれでいいだろう。

 

 他人の性格や好み、思考回路をどうこうしようと思うほど、私は下司でも、馬鹿な狂信者でもない。

ーーー

 しかし、そういう人たちは、

 

 世の中全ての健常者が、

 あなたたちほど、「他人への人助けが大好きで」、「それが一番の趣味の生き甲斐で。」、

 また、あなたたちの一部の、ある人達のように、「極度に体力知力で有能で、それゆえ余裕のある人格者になれる超エリートの人達で。」、

 また、逆に、あなたたちの一部の、別の人達のように、「健常者の中では、体力や知能における末端近くで、それゆえ、自分たちが社会の一番下でないことを確認して慰めたいために、より劣等な人達に存在して欲しくて。」、

 また、あなたたちの一部の、別の人達のように、「何か、人類として生まれた個体は、全て、老衰や重病による自然死以外では、生きる権利がある、と、法律の条文や何かのお題目を、たとえ現実とかけ離れていても、宗教のように純粋に信じていられる人達で。」

 いるわけではない、むしろ、上記の特性のある人達が少数派なのだ、ということを、

 より自覚する、気付く、目を覚ます必要がある。

ーーー

 小学校時代の同級生の事例のように、一度、義務教育以降で人間同士で関わると、

 まだ天明の大飢饉のような事態に直面していない、今の日本では、いくら社会が貧しくなりつつあると言っても、 

 人間感情的に、直接知っている人を対象には、どうこう言えない。

ーーー

 しかし、少なくとも、今後これから生まれてくる胎児や新生児に関しては、

 やはり、なるべく早急に、法務省や厚生労働省の管轄での、新しい施策が、憲法改正も含めて、必要なのではないか?

ーーー

 高等生物である人間1個体を、一生飯を食わせるのに、

 

 どれだけのヘクタールの水田(稲)や畑(小麦)、

 どれだけの量の根菜や野菜、

 挙げ句の果てには、植物だけでなく、どれだけの量の、動物(牛豚鳥魚)が、必要か、

 

 都市の人間は、本当にわかっているのか?

 農村の人間だって、現場の人達は、業務で必要ないので総計算していないだろうし、農水省のトップでも、面倒くさがって計算していないだろう。

 (政治家に言われれば、慌てて調べ始めるだろうが。)

ーーー

 植物にしろ動物にしろ、それら人間が食う生き物は、

 魔法で無限に作れるわけでも、工業製品の様に、大量生産で短期間に量産できるわけでもない。

 

 生物は、根本的に、土壌の栄養分に依存し、年間の生産量も限られる。

 土地も、耕作適地の面積が限られ、

 無理に斜面の森林を開発すると、短期的に収量は上がっても、数年後の長期はかえって、土壌浸食など環境破壊が起こり、収量が激減する。

ーーー

 いくら、人間が生態系の勝者で、元来、熊や狼や鹿が食べていたはずの食べ物や土地を横取りしたからって、毎年の入手可能な食べ物には限度がある。

 

 都市の人間は、福祉だとか医療だとかしか知らない人間は、

 えてして、食べ物が温泉のようにわき出てくるとでも、コンビニに行けば未来永久にあるとでも、思っているのではないか?

ーーー

 重度の知的障害者に、太るほど十分な飯を食わせている先進国を、

 重度の障害どころか、健常者の平均より少し下すら、ろくに飯も食えずに飢えている途上国の人達が、  

 どういう目で見ているか、

厚労省や農水省のトップや、自治体の現場職員、管轄の民間職員達は、考えたことがあるのか?

ーーー

 憲法に関しては、やはり、生存権から、重い決断だが、一定以上の重度の障害者は、はずす必要がある。

 

 合衆国が作った憲法は、

 

 日本に住まず、日本に家族もおらず、または、

 日本で自身の老後を過ごすわけでもなく、日本で子供が成人するわけでもない、

 すなわち、

 日本の人々の将来に何ら責任を持たずに一生を過ごせる人達、

 

 すなわち、

 1945~46年の、合衆国の上層部と、占領軍GHQ, 

 挙げ句の果てには、GHQのコネで日本に卒業研究に来た合衆国の青2才の学生までが、

 「日本を、二度と合衆国と戦争をしないようにさせる。」

 という、その目的のためだけに、

 逆に言えば、その目的以外には、全て「無責任で」「どうでもいい」立場から、

 作った、憲法です。

ーーー

 飢餓状態になれば、空文化して破綻する憲法を、条文だけ維持することは、

 いざそういう事態になった時、憲法自体の価値が、信用をなくすことにつながります。

 

 下手をすると、日本国民の、感情・本能に流されやすい特性や、逆に狂信的に論理・知能を信仰しがちな特性や、将来の国民世代の知的水準の低下によっては、

 法治国家自体が否定され、人治国家に逆戻りする危険性さえ、あります。

ーーー

 名目だけはきれいだが、現実益では悪名高い9条も、今度の漁船事件を見ると、そう遠くないうちに足かせになる可能性があるが、

 それ以上に、

 たしかに重要な基本テーマとはいえ、9条以上に、あまりに理想を書きすぎている25条は、問題です。

ーーー

 天明の大飢饉や、八重山の人頭税地獄は、

 全体的にも、人口が増えすぎた、この地球で、

 世界レベルで、そう遠くない将来、不定期に局地的に起こりうることです。

 

 数年前、冷夏だっただけで、ハイチでは食べ物が枯渇して暴動になりました。

 ある意味、地震で人が減って助かっている部分も、生き残った人には、あるでしょう。

ーーー

 やはり、

 今後、法制化に必要な一定の期間以降に、生まれてくる、

 一定以上の重度の知的障害者は、

 

 できれば胎児のうちに、

 もしくは、出生後でも、保育園や義務教育に入る前迄の段階なら、

 

 健常者の一部の、変わった性格の人の、本能や個人自由、

 一般的な健常者の、人間としての、脳知能や社会性で、

 周囲が情を抱く前に、

 

 中絶(最優先)や、

 中絶の次の優先での、義務教育前までの最速の出生後の安楽死も、

 憲法改正と法律で、社会義務化する必要が、あるのではないだろうか?

ーーー

 江戸時代までは、一般庶民はもちろん、おそらく将軍家や大名家でも、

 親が赤子を土に埋める方法などで、行われていたのである。

 (重度障害どころか、家計次第や、気に入る気に入らない程度ですら。)

ーーー

 エコと人権が矛盾するとき、

 必ずエコを選べという考えも誤りだが、

 同様に、

 必ず人権を選べという考えも誤りである。

 要は、バランスだ。

 

 しかし、古代や中世、近現代と比べて、

 エコの制限要因が、人口圧迫が、不可避的に強くなっているのは、

 FACTとしての事実である。

ーーー 

 出産に伴う女性の生理的代謝消費は、

 精液を出すだけの男性より、遙かに上回るのは、事実だ。

 

 そのことで、運悪く、重度障害をもった胎児を、10ヶ月苦労して産んだ、女性が報われないではないか、

 と、ジェンダー教徒等がいうなら、

 

 それは、重度障害者の、中絶や早期安楽死を否定するのではなく、

 そういう母親への、代替的な保険制度を、作ればいいのではないか?

ーーー

 すなわち、全ての出産母と父に、

 法定とする重度障害保険の加入を義務づけ、常識的な保険金を払わせ、

 もちろん、不正はないようにして、

 

 本当の自然の状態で、重度の障害児を妊娠or出産した母父に、

 11ヶ月分の母親の生活保護費に相当する額と、産婦人科費用と、

 保険金・発生率・差し引く運営費から計算した、一定の見舞金が、

 払われる制度だ。

 (自然的に行けば、重度障害を産む比率は、相当低いはずである。)

ーーー

 重度の障害児出産の事例ですら、金と命は絶対釣り合わない、補償できないという、

 直江兼続も応対に困るような、わがままな人間がいて、

 ご自身の生理的本能や個人の自由、

 またはご本人が信じる・望む、社会集団の、脳知能や社会性、 

 これらで、反発するかもしれない。

ーーー

 だがそれは、例えを下等生物にするのは失礼だが本質で同じこととして、 

 自分でえさ代も稼げないのに、処分場の大型犬を飼いたいと、親にたかり地にばたつく小学生児童と同じの、

 脳知能と社会性の欠如した、幼児的な、生理本能・個人自由「だけ」の自己主張である。

 大型犬が一生食べるペットフードも、かなりの量だが、人間1名なら、更に馬鹿にならない。

―――

 法律による刑罰(ハード)と共に、

妊婦とその夫には、

 車の免許の講習会のように、

「農学と生物学の基礎的な知識」の講習会の義務づけが、必要かと思われる。

 

また、中絶や安楽死時の、心理カウンセリングも、上記の重度障害保険や一般行政で、社会義務的に、行ってもいいかもしれない。

ーーー 

 宗教的な信念から、自身が福祉手当を一円ももらわずに、重度障害児を育て通すという人がいたら、その間だけは、金銭面では、他人に直接負担をかけないかもしれない。

 しかし、そのために、現実的には、その親は、

 よほど有能でも、

不幸不運を背負いつつ余計に稼ぐために、

 シャイロックやスクルージ真っ青の、がめつい、他人に過酷なまでの、過剰な市場競争をして、不要に他人を苦しめたり、

 

無能なら、

途中で挫折して投げ出して、他人に迷惑をかけたり、無理をして犯罪に手を染めたり、

 

する可能性が高くなるのである。

ーーー 

 親自身は納得済みでも、まだ未成年の健常者の兄弟姉妹は、

 本当に兄弟姉妹自身が、負担増や、場合によっては貧困を味わっても、納得するだろうか? 健常者の兄弟姉妹のほうへの、養育義務がおろそかにならないか?

 未成年の間は、兄弟姉妹を親権で押さえつけられても、彼らの成人後や、または自身の老後に、

 福祉手当なしで、誰が、成人以降で、飯も大人並みに食らう重度障害者を、確実に面倒を見るのか?

 結局、最後は福祉手当に泣きつくか、中途半端に育てて放棄して、街や山でのたれ死なす、いずれにせよ、赤の他人に負担をかけることになる。

ーーー

 また、あんまり体力知力が高く、自身は余裕があるからって、世間体も含めて過剰に人格者を演じようとする人達や、

 逆に、下にもっと惨めな人達が欲しい、と甘ったれる健常者の末端の人達は、

 多数派である、中庸の人達の社会集団の、脳知能・社会性、に、ある程度合わせなければならないことを、民主主義社会では、学ぶ必要がある。

ーーー 

 ひとりあたりでは、優秀な少数エリートの方が多く税金を払っているが、全体では、中庸層のお支払いした税金の方が、やはり多くなる。

 そして、そういう税金が、福祉手当の原資になっているのである。

ーーー

 下にもっと惨めな人達が欲しい、という健常者末端は、ただの甘ったれで、

 上を見たら、上の方が多数派で、遙か彼方まで果てしなく続いていて、生理的に辛くて滅入るというなら、

 気楽に下を見続けたかったら、動物園のサルや下等生物を、いくらでも、好きなだけ見て、人間で良かったと満足すればいい。

ーーー

 学校教員が、何か無理なことを無理にしようとすると、お得意の「心理学」で、「嘘」「詐欺」「詭弁」の限りをつくすように、

 

 重度障害者の家族や、その世話をして生計を立てる福祉雇用者も、何か無理なことを無理にしようとして、

 「暴力」は戦後社会で否定されているので、

 

 貧困層や女性は、

「宗教」への免疫が低いので、(経験や教養や知能が少なければ、信じ込む方が楽だから)、

「観念や狂信」「目先の浅知恵」に走ったり、

 逆に、エリート層は、

お得意の「嘘」「詐欺」「詭弁」に走る。

―――

 いずれにせよ、

彼ら重度障害者の家族や、福祉雇用者達は、

ご自身の「本能と自由」、

 ご自身や似たもの同士の社会集団だけにとって快適な、「脳知能」「社会性」

 ばかりを、追求して、

 

他人の「本能や自由」、似たもの同士でない人達(重度障害者の家族や雇用関係者以外の人達)を含む集団の「脳知能」「社会性」を、無視し、

 挙げ句の果てには、潰そうとすらしてくる。

 結果、他人に「迷惑」「損害」「加害」「妨害」ばかりすることになる。

 はっきり申し上げて、非常に迷惑です。

ーーー

 国会議員の方々様におかれましては、

 一定期間後からの、重度障害者の新生児中絶や、義務教育入学までの最速の安楽死制度を、

 その為に必要な、憲法改正や法律作成も含めて、

 地球環境の保全と、人類社会の持続可能な進化のために、

 行動・施行して下さりますよう、

 よろしくお願い申し上げます。

―――

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コメント

初めまして、こんにちは。
ネットで知的障害者について検索していて、こちらのブログを見付けました。2ヶ月半経ってのコメントですが、お邪魔致します。

私は小学校の時に知的障害者にストーカーされ、担任の教師や保護者にお願いしましたが、改善されませんでした。大人になった現在でも電車や街中でそういう類の人を見かけると少し固まってしまいます。障害者本人も社会的に自立できるような訓練を受けることができず、健常者に心の傷を負わせてまで、普通の学校に通学させるメリットが理解できません。親の見栄・エゴしか感じられません。

一番冷たいと思ったのが、『逆差別』状態です。障害者だから何をしても叱られないのです。自分が被害に遭っていないため、障害者は「純粋な心を持った無害な人」だから、苦情を言う健常者である私の方が悪い人になってしまいました。もちろん、私の親や理解してくれる友達もいましたが、選択肢がなく、すぐ逃げだと解釈する日本の教育制度に疑問を感じています。

オランダの教育制度を調べていると、校区が決められていないため、転校することができるそうです。知的障害者の親御さんが普通小学校に通わせたいならどうぞ、迷惑を掛けようと構いません。その代わり、日本でも被害に遭う生徒は自由に学校を変えることができる権利を与えてられなければならないはずです。(いじめ問題も同様です。)

Yamazaki様、ハイチ等天災や飢饉が起こっている地域は、脳に障害を持った大人が多くいるはずです。原始社会ならそういう人々は淘汰されてしまうでしょうが、国連やユニセフの配給する食糧医薬品で生き延びてしまうのでしょう。幼少期に脳に必要な栄養が行き届かないと知的障害者になってしまいます。ハイチでユニセフから看護師として活動されている方が、「大人の患者さんに何度薬の飲み方・回数・飲む量を教えても忘れてしまう」のだそうです。そうして、煮炊きのための薪を山から切り出して、植林をせず、禿山にして洪水の繰り返しです。

江戸時代のように『子殺し』できるような時代なら、性別や障害によって嬰児殺しができたでしょう。しかし、現在はYamazaki様がおっしゃるような先進国に生まれただけで、乳児並の知能の人々が生かされているのは自然の摂理に反していると感じます。

日本は特に左よりの人に多いのですが、「人は努力すれば才能が伸びる」と考える傾向にあり、IQテストも行われません。学力テスト問題でもあれだけ、考えが対立してまとまらないのですから、知能テストとなると猛反発を食らうことでしょう。IQ87以下を一般に知能遅滞というようですが、学習機能障害や知能遅滞の人々が一般教育を受けて社会に出て行くのは本人のためにも社会のためにもならないと思います。もっと、個々人の能力別の教育を受けられるように制度が変わってくれればと思っています。

羊水検査の精度もあまり優れていないらしく、万が一でも生まれて来てたら、アメリカのペイリン氏のような金持ち以外は福祉手当でも生活が困窮するでしょう。私は重度の知的障害を育てるよりも、犬を飼って育てる方がどれだけ心に安らぎがもたらされるだろうと思います。

戦前のように栄養が不足している時代なら産児制限することなく、何らかの欠陥障害がある乳児が2歳くらいまでには死亡していました。現在は過剰な栄養が余りあり、出産するのに贅沢な施設まで用意されていて、未熟児も保育器で育ててもらえます。乳児死亡率が低く、臓器移植も高コストだけど努力次第で可能です。人がちょっとやそっとじゃ死ななくなったら、相対的に普通でない人も数としたら多くなります。そこをどうやって調整するかを社会的コストの面からYamazaki様は考えられたのですよね。

安楽死施設は、重度の知的障害者だけではなく、完治の見込みのない精神障害者やその他の病気の方、痴呆症の方も含まれて考えるべきでしょう。絶対実現不可能な話ですが・・・。すぐ、ナチスの強制収容所の話を持ち出す人がいますけど、オランダの安楽死制度を要は責任能力のない人にも適用できるようにしましょうという話ですよね?

人は遺伝的要素や階級制度による能力の差があるはずだと思います。機会の平等は与えられるべきですが、生まれ持った才能を潰す社会は本当の先進国ではありませんね。国がサポートすればもっと伸びた天才的な人が潰されているのは本当にもったいないことです。

では、長々と失礼致しました。

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