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2010年12月

 独立行政法人の基本法制度を改正し、「下層行政役所」に変える必要について。

 協力隊の制度一つ変えられない、というところに、民主党政権の欠陥を感じる。

 決断力が無いのか、意志が無いのか、わからないが、失業者を出すことを恐れて、行革などできるわけがない。

ーーー

 雇用雇用などと言っているが、そんなに雇用「だけ」が大事なら、
 失業率0%だったソ連の社会が、どういう問題を抱えていたか、理解していない。

 はっきり言えば、人事の不公正不公平、硬直人事による腐敗、最低限の努力しかしない労働者達、こういうものを生み出していたのだ。

ーーー
 独法の基本法がザル法だと、何度も申し上げているのに、衆院第1党が、何も改正法案を出さない。

 他に重要法案があるのはわかるが、衆院だけでも、与党300人のうち、2期目以上が100人もいれば、
 総務省系統の重要な法案一つ、なぜ1つ2つの会期に作れないのか?

 こいつら、高給もらって、いったい何やっているのだ、といいたくなる。

ーーー
 独法に感じるのは、やはり「詭弁」だ。

 1,政府がやるべき重要な業務がある。
 2,しかし政府がやるには、コストが掛かりすぎ、効率的でない。
 3,しかし民間に任せると、民間はやってくれない。
 4,だから、独立した行政法人を作る。

 何ですかこの論理は?

 関東軍や満州国の論理を思い起こされる。

 ーーー
 結局、問題の根幹は、2,の部分だ。

 超高度の優秀エリートが集まる組織、その優秀分に見合った高給が払われる組織、
 こういう行政組織が、国の頂点にあるのは、当然だ。
 
 しかし優秀エリートは、そもそも数が限られ、また、彼らの報酬に払う予算にも、限りがある。

ーーー
 そうなると、たしかに、今の独法の、JICAや土木研究所や学生支援機構がやっているような業務を、

 数が限られる優秀エリートがやることなのか?
 優秀エリートでない中堅層がやるなら、人事や給与は、優秀エリート用とは、違う体系が必要なのではないか?
 とは、なる。

ーーー
 そうなると、たしかに、国の組織を、階層化して、
 
 中堅層の実力でやるような業務は、下部行政組織として、本省とは分離する必要は、出てくる。

 当然、そこでは、中堅層に見合った人事で採用任期され、中堅層に見合った所得が払われる必要も出てくる。

ーーー
 そこまでは、いいのだ。
 
 問題は、まず、なぜ、「独立」という言葉が出てくるのか?

 この「独立」という言葉を入れさせたのは、

 特殊法人にいる、本省から流された天下り役員だったのか
 または、特殊法人たたき上げのプロパーだったのか、
 知らないが、
 相当「狡猾」で「卑怯」で「悪質」な人物だと思う。

ーーー
 関東軍が、皇軍から「独立」した組織だったのは、自明だ。
 参謀本部が陸軍省から、「独立」した機関だったのも、自明だ。

 日本の旧軍隊自体が、天皇や内閣から、事実上「独立」した組織だったのも、自明だ。

 「独立」を盾にすれば、いくらでも、本部の意向を無視して、勝手なことができる。

ーーー
 つまり、独立行政法人は、

 存在自体が、「無秩序」であり、「謀反」であり、

 「下層行政組織の構成員による、上層行政組織の構成員への、クーデターor離脱行為」

 「下層行政組織の構成員による、納税者への搾取攻撃」

 だということだ。

ーーー
 関東軍の独自行動が、皇軍が滅びる原因になった。
 軍隊の独自行動が、日本帝国が滅びる原因になった。

 これは、歴史上の事実である。

ーーー
 本省での出世競争に負けて、特法・独法に流された理事達の、本省出世組への「妬み恨み」、

 公務員試験に落ちて、制度の不備に乗って、ずるをして特法・独法に採用された者達の、公務員試験合格者への「妬み恨み」、

 そう言う彼らの、

 優秀エリートでない凡人なのに、勝手に自由に、公金を使って行政をふるまいたい、権力が欲しい、という、
 優秀エリートや納税者への「甘え」と、自分自身の能力への「奢り」、
 
 これを、非常に感じる。

ーーー
 まず、名前を、はっきり正直に、「独立」を廃して、「下部行政法人」「下層行政法人」とでも、することから、始める必要がある。

 その次に、「法人」という名前は、「民間法人」との混同・誤解を招くので、

 「下部行政機関」「下層行政役所」とでも、する必要がある。

ーーー
 ローマ衰退期の、軍人皇帝時代の失政をみるまでもなく、
 下級役人の労組が、大組織をまともに経営できるほど、世の中は、甘くはない。

 中世のキリスト教会による封建詐欺支配の、失政を見るまでもなく、
 詐欺師集団や狂信者達が、人間社会をまともに経営できるほど、世の中は、甘くはない。

ーーー
 民間法人は、

 大手本社が、各部門の子会社をたくさん作って、部門毎・子会社毎に独立採算制を求めて、
 アメーバ状に、効率がよく利益になる事業を取捨選択していき、

 時勢に応じて、枝葉になる子会社を、設立廃止や拡大縮小しながら、グループ全体を発展させている。

 独法設立を許可した国会議員や省庁エリートは、上記のような民間経営をまねたかったのだろうが、

 法律が不備な時点で、独立行政法人などを作って分離させたら、統御不可能な関東軍になるだけだったのである。

ーーー
 はっきり言えば、国の公共行政の子会社というものは、既に存在していて、
 それは、地方の自治体なのである。

 言ってみれば、特殊法人や独法の失敗は、

 ひとつは、
 国という大きな本社単位で、
 子会社(自治体)に任せる部門を、任せようとしなかったので、
 余計な下級の雑用業務を、本社自らが抱えてしまった。
 その結果。

 もうひとつは、
 子会社化するのにそぐわなく、本社でやるほうが、様々な事由でふさわしい業務内容であっても、
 本社内の、下級部署の職責権限という、内部組織制度、それを担当する下級職員の、人事制度を、うまくつくれなかった。

 そのため、下級部署が勝手に分離独立して関東軍化し、下級職員集団が、独立した封建僭主や封建貴族と化していった。

 その結果。

ーーー
 はっきり申し上げて、「独立」行政「法人」制度は、廃止する必要があります。

 独法の基本法を廃止または改正して、

 まずは名前から、「下層行政機関」、「下部行政役所」と、嘘をつかず正直に命名する必要があります。

ーーー
 本省との「独立」性を、法律内容から、徹底的に「削除」し、
 民間でないのだから、「法人」という名前は使わず、
 「省庁」の下にあたる名前をつける必要があります。
 

 現行では、省より下の国組織は「庁」であり、自治体の一番上は県「庁」と、なっています。
 県庁の下の、市「役所」を適用して、国の庁の下として「役所」という名前が、適切なのではないか、と思います。

 すなわち、「下層行政役所 国際協力機構」または、「国際協力役所」などです。

ーーー
 イギリス人は、平均的に、相当賢い人達ですが、
 彼らでさえ、チェンバレンが融和外交をしたり、ドードーを絶滅させたり、間違いや失敗はするのです。
 
 英国のエージェンシー制度も、
 向こうでは、日本と具体的に細かく制度が異なれば、結果は違うかもしれないが、

 少なくとも、日本輸入版の独立行政法人制度は、
 既に破綻していて、腐敗していると、宣告いたします。

ーーー
 人事や給与では、国家公務員法とは別に、
 下層行政役所の人事法給与法を作り、、
 中堅層の公職参加に見合った、採用任期や給与システムにする必要があります。

ーーー
 外務省系統では、
 正直に「下層行政役所 国際協力機構」または、「国際協力役所」とすれば、
 いかに本省の国際協力局とのダブり、無駄があるか、はっきりする。

 これはすなわち、本省エリート達が、途上国業務や勤務をやりたくない、甘ったれていたい、豊富な札束をばらまいて下々の者にやらせればいい、と、
 JICAを作った経緯の、証明でもあります。

 青年海外協力隊の、廃止の必要性について。 (3)

 菅直人首相の、「最少不幸社会」の概念は、大ざっぱすぎて具体的ではないが、
 不要なリスクを減らすという意味では、理解できる。

ーーー
 昔は、国1キャリアの大蔵省入省者を、20代で税務署長にしていた。
 
 そういう待遇を受けた人達の、全員が全員、鼻持ちならない天狗の殿様になったわけではない。
 
 

 そういう集団自体が、「エリートの中のエリート」だし、その中でも、更に三重(さんじゅう)のエリートの人(エリートの中のエリートの中の、エリート)には、

 若さにもかかわらず、その大役を大過なく果たしていた、極度の天才や秀才の人も、少数であろうが、いたはずである。

ーーー
 しかし、なぜ20代の税務署長制度は廃止になったか?
 
 その原因は、中間層の妬みややっかみの部分も幾分かはあろうが、
 
 それだけでなく、

 やはり、いくら優秀な鷹の雛でも、まだ雛のうちから極度に重い権限と責任を与えられると、
 やはり天狗になって失態や不正をしでかしたり、逆に権力を使いこなせず責任を負えずに潰れる人も、それなりにいたからである。

ーーー
 上記は、強者層の例であるが、
 中間層や弱者層の例である、協力隊も同じである。

 年間1,000人も送れば、それなりの現地への客観的成果を上げ、本人自身も得をする人は、毎年、ごく少数の数人や十数人はいる。
 
 それ以上の数の、
 担当国フェチ・担当地域フェチ・担当文化フェチ、の人達には、

 現地への成果は眉唾でも、少なくとも、本人だけは、あこがれの地域での長期滞在の夢が叶って、得をした人達もいる。
 (例・グアテマラフェチ、ラテンアメリカフェチ、サルサフェチ)。

ーーー
 こういう人達は、当然、協力隊「大好き」集団となり、
 JICAやJICA傘下の財団社団が、なにかと雇用やバイトを与えていることもあって、
 一緒に癒着して、

 腐敗した下部行政組織と共に、行革への抵抗勢力となる。

ーーー
 しかし、低能すぎて、現地に対して貢献していない人達、それ以上に、未熟なうちに、途上国に放り出され、職業経験や家庭人生が大きく狂わされる人達、
 こういう人達が多くいる以上、

 菅首相には、「最少不幸社会」のために、かつての20代税務署長制度の廃止と同じ様に、協力隊も廃止するという、英断が求められると、私は考えます。

ーーー
 中堅層のためには、シニア海外ボランティアを、残せばいいのです。

 凡人でも、さすがに40代になれば、日本水準での職務経験と家庭経験で、それなりの業務能力・人的能力が、備わるでしょう。

 その中から、意志と能力のある人を、選別すれば、本人にとっても、職務経験や人生経験でのリスクは、減ります。

 もちろん、雇用名の、「シニア海外」に続く、「ボランティア」の部分は、「派遣員」やそれこそ「協力隊」に替える必要がある。

ーーー
 ブルーワーカーや作業員的な仕事ほど、現地は人出が余っているくらいです。
 現地のブルーワーカーの雇用を、協力隊員が奪っているのは、本末転倒です。

 駆け出し程度の、ホワイトワーカーも、同様です。

ーーー
 日本生まれ育ちの、まだ未熟な青臭い「青年」がすることは、
 よほど日本社会に合わなかったり適応できずに出て行き、外国に移民帰化する人は別として、

 まずは、日本社会で20代30代は、職業経験を積み、生活地域で家庭を運営することです。

 外務省やその他の本省に入るエリート以外は、長期の公費海外滞在など、全く必要ありません。
 普通の人は、自費で、短期の海外旅行や、在日外国人との軽い国際交流を、楽しくしていればいいのです。

ーーー
 障害者のような弱者層など、業務で海外に行く必要は、たとえ40過ぎても、全くありません。

 自力でも、能力的・経済的にめったに行けないのだから、それを受け入れる必要があります。 

 宝くじでも当たった幸運者だけ、ハワイにでも旅行で行けばいいのです。

 外国にも似たような弱者層がいるでしょうが、お互いに接触するほど遠くまで自費で交通する能力がないのだから、そもそも「国際交流」する必要も「無い」のです。

 地域社会の中で、一生を過ごせばいいのです。
 

ーーー
 弱者層には、
 文通やネット交流という手段もありますが、それとて、それなりの費用や設備がかかります。

 やはり弱者層には、「国際交流」ですら、「無理」で「必要ない」と思います。

 外交や国際交流は、生活保護制度や国保年金・義務教育の様な、普遍行政では「ない」のです。

ーーー
 一昨日の読売新聞で、JICA元総裁の斉藤氏の記事が出ていましたが、未だにこんな戯言を言っているのか?と呆れて物が言えませんでした。

 こういう質の低い記事を載せるという、マスコミの担当者も担当者です。

 斉藤氏は、東大出て外務省入って事務次官や駐米大使にもなって、最後はJICAに天下って2重退職金でお金も稼いで、
 ご自身の人生は、バラ色の人です。

 官僚として、「上から指示されたことをやる能力」は、相当有能だったのでしょう。

 しかし、世の中すべての雇用、少なくとも外務省系統の全ての雇用が「きれいで非の打ち所がない」と思っているなら、よほどロマンチストで世間知らずです。
 
ーーー
 ご自身が官僚として有能な故に得た、特権的な「外交」「国際交流」経験を、
 「下々の者達にも、薄めた形で経験させてあげよう。」などは、とんでもないおごがましさと奢りです。
 
 凡人に、しかも若者に、「外交」などできやしないのだし、「国際交流」も公費を使ってやることではありません。

 ご自身が、税金の無駄使いの世界の極地にいたからといって、中堅層や弱者層まで「税金の無駄使いの世界」に巻き込んで、

 「赤信号みんなでやれば怖くない」的に、うしろめたさをごまかそうとしている気がします。

ーーー
 本当に残念です。

 やはり、行革は、政治家でないとできません。

 障害者政策について。

 障害者政策について。


 「自立」と「助け合い」という言葉で、
 一般的には、優秀者強者すなわち右派は、「自立」という言葉を好み、障害者弱者は、「助け合い」という言葉を好む。
 それは、それぞれの損得勘定からいって、自然な話である。

ーーー
 自民党の右派政権のうち、経世会の時代は、時代変化に対応できず腐敗していた側面と同時に、地域社会主義・企業社会主義の側面、すなわち、左派に勝つため中道層を取り込む、中道右派の側面もあった。

 経世会の没落後の、小泉政権以後は、経世会の腐敗と、地域・企業社会主義を、共に葬った。
 しかし、右派が強くなった時代に、右派も調子に乗って、現実を無視してまで、あまりに「自立」という言葉を、「自立」が「無理」な弱者層相手にまで、使いすぎたと思う。

ーーー
 そのために、狡猾な障害者達は、その「自立」という言葉を逆用して、能力が低いくせに、
 「自立するから、公務員に特別枠くれよ。」「自立するから、大企業に特別枠を税制で強要脅迫してくれよ。たからせてくれよ。」と、言い出したのだ!

ーーー
 これは、皮肉な話で、強硬右派が、観念理想的な厳格さで、かえって劣等左派を「詐欺」に走らせ、甘やかし増長させて、
 劣等左派に、「自立」はしているかもしれないが、おかしな不正な既得権益を作らせた、その事例である。

 いわば、自由平等博愛の、理想左派社会を作ろうとしたハイチ解放奴隷政権が、セックスonザビーチの果てに、
 平等かもしれないが、世界一の貧困国家を作り出した皮肉と、逆のバージョンだ。

ーーー
 「自立」と「助け合い」は、手段でしかない。
 どちらが正義というわけでもない。

 どちらの手段の方が得をするかで、個人や集団、状況場面により、使い分けるものだ。

ーーー 
 何度も言うが、世の中平等ではない。

 小学生の時、別のクラスだったかに学年1で足の速い男子生徒がいた。
 その生徒が体育か放課後に走っていると、クラスの、大半がまだ初潮も始まっていない女子生徒達が、黄色い声を上げて夢中になっていたものだ。
 大学院の時、イケメンで造園会社の若手幹部の、高所得の男性先輩に、女性の同級生が、「私セックスうまいのよ。気持ちいいよ。」と、必死になって「営業」していた。

 もし北島康介選手ぐらいの人が渋谷でナンパすれば、街を行き交う美人10人のうち9人が、大喜びでふらふらついて行き、即日セックスもOKだろう。
 しかし、平均的な男性がやれば、その確率は平均容姿の女性10人に1人程度である。セックスするには、数回のデートが必要でしょう。
 何か欠陥が大きく明らかな男性がやれば、収穫はゼロか、ろくでもない女性しか、ついてこない。

ーーー
 体力や知力のどちらか、または両方が、かなり平均より低い、それでも障害者ではない健常者は、たくさんいるのである。

 こういう人達は、たいてい、左派になる。
 で、だいたいの人達が、零細企業や衰退企業で、不安定な非正規で働いているのである。

ーーー
 そういう世界では、
 常にぶつぶつ独り言を言いながら、気に入らないと感情的に部下に恫喝やかんしゃくを飛ばしまくる中年男性とか、常に社会不満やヒステリーをためて部下にあてつけている中年女性とか、
 そういう人達が、独身のまま、労働して生活していたりする。

 中には、雇用保険詐欺をしたり、暴力や恫喝で金をたかろうとする、人間的に、社会性や知能に問題がある、末端雇用の人物もいる。

ーーー
 ただ、そういう世界でも、詐欺や暴力に走る人は論外として、
 
 別に福祉や他人にたかるわけでもなく、業務にかこつけて不要に他人を攻撃するわけでもなく、
 内心は、もちろん社会不満や、自身の能力への悔しさもあるかもしれないが、

 その立場を受け入れて、雇用がある間は、労働者として誇りを持って、福祉に頼らず働いている人も、
 多くいるのである。

ーーー
 そういう体力知力の弱者の人達だって、そういう立場になったのは、自身の体力や知力に、原因があるのである。

 社会条件や運不運の理由は、もちろんある。
 ただ、社会条件や運は、多少は人為で改善できることもあるが、どうにもならないその時代の社会条件や天運は、どうしようもないことだ。

 やはり、体力知力で、人間個体同士は、遺伝子は、「平等ではない。」のである。

ーーー
 優秀は上から見下ろす立場、劣等は下から見上げる立場、能力に格差は必ずあり、絶対に平等社会など、作れない。
 体力知力が低い人は、努力してはい上がるか、年齢などで限界に達したら、立場を受け入れるしかないのである。
 人間集団内を見ている限り、上を見上げることが多く、下を見たかったら、下等生物を見るしかない人生を、「受け入れる」しか、ないのである。

 人間社会では、数学的に実現可能な、最低限をカバーする福祉保険しか、最低限のセーフティーネットしか、絶対に作れない。

 それ以上やれば、絶対に「詐欺」になる。

ーーー
 サーカスの空中ブランコに、下にセーフティネットがあるのはいいことだ。

 普通の観客は、華麗な演技を、視覚神経科学的に楽しみ、生理的な利益を得たいだけで、
 落ちて死んだり怪我をする人を見て、積極的に楽しみたいわけではない。

 他人の死や怪我など、そういう残酷物を見るのが趣味な人は、架空の映画小説や、下等生物相手にやればよい。

ーーー
 しかし、何度も空中ブランコから落ちる人は、サーカス団から解雇されるのは当然だ。 
 落ちても安全だからといって、適当にやる人、努力しない人、たとえまじめに努力しても適性や能力が見合わず結果を出せない人を、雇い続けるほど、
 サーカス団は、税収権力のある公共ではないし、経営者はお人好しではないし、顧客は金を払ってあげる馬鹿ではない。

ーーー
 なんで体力知力が低い人達が、
 雇用がある間は、末端の立場を受け入れて働き、多少の経営者や上司同僚の問題点は我慢しながら、福祉をもらわない誇りを持って働いているのに、
 
 生理的に劣等である点では同じなのに、
 手がないとか、耳が聞こえないとか、一部のパーツが欠如しているので、わかりやすいというだけで、
 そういう人達が、
 障害者手帳をもらい、
 江戸時代の被差別民の頭領みたいに、名はなくても実がある特権、
 公務員や大企業への特別枠を、得られるのか?

ーーー
 平等思想こそ悪です!
 劣等なら劣等で、その立場を受け入れさせなければ、いけないのです!

 足が遅い小学生は、同級生女子から、黄色い声でちやほやされないのです。
 造園会社のイケメン幹部でない大学院生は、後輩女性から挿れて欲しいと言い寄られることもないのです。

ーーー
 差別のない社会など、空想や夢想や理想以外には、存在しないのです!

 「違うものを違う。」、「劣っているものを劣っている。」これを言わせない社会は、
 共産主義社会の前例を見るまでもなく、
 嘘と詐欺と偽善に満ちた社会です。

ーーー
 本当に,障害者を甘やかす行政が行われています。

 「悔しい」という感情自体は、誰でも持っている物である。
 障害者が何も自分たちの特権のように言いふらかす物ではない。

ーーー
 知能が低いくせに詭弁が得意な身内女性(母親)に騙されて、成績は基準を満たしていたのに農大への推薦入学の機会を潰された私は、
 成績とスポーツで明治だったかに推薦入学が決まり、3年の2学期3学期を、女子高生と駅前で遊んでいたという同級生が、うらやましくて悔しかった。
 親の知能ですら、平等ではないのである。

ーーー
 だから、馬鹿のために、人為的な事件で、正当に得られるはずのものが得られなかった「悔しさ」、は、私もわかる。
 しかし、私の場合は、加害者(母親)は、能力がないとはいえ親権を持っていたのだから、
 やはり私は20歳までは我慢して、18歳からは社会では働けるのだから、高卒労働して20歳以降に行きたい学部に行く、そういう選択枝もあったのである。

 それをしないで、親が金を出してくれる進路を安易に選べば、そういう根性や意志や知性にみあった結果になるのである。

ーーー
 しかしながら、人為もクソもない、本人自身が持って生まれた体力知力で、それが他人より劣等だからといって、それで天に対して「悔しがる」障害者は、
 「悔しがる」こと自体は、自然感情で誰も止められないが、
 そこで、行政に対して「甘え」「たかり」「おねだり」するのは、やはり「論外」である。

ーーー
 もし障害者達の一部が、「悔しがった」挙げ句、
 最後に、先述のような、体力知力の健常者弱者の一部の、悪い事例のように、
 詐欺や暴力や攻撃あてつけに走るなら、
 勝手に走ればいい。

 そういう、本能と自由しかない、チンパンジーまでならOKだが人間としては失格な、
 反社会的で、知能の低い、劣等個体や劣等遺伝子は、
 どんどん刑法や管理行政を厳しくして、障害者刑務所を作り、安楽死制度を導入して、滅ぼしていけばいい。

ーーー
 冒頭の話に戻すが、「自立」する能力が不足する人相手に、「自立」しろというほど、酷で、その人物を「詐欺」に走らすものはない。
 
 常識を考えれば、わかる。
 
 どこに、耳が聞こえない人を雇う余地のある公共機関がある?
 どこに、能力が平均以下の人に、権限を与え、給料を払いたい納税者がいる?
 
 どこに、自由競争の経済界で、片手のない人を雇いたい会社がある?
 どこに、能力が劣悪な担当者に、時間や労力を余計に取られてまで、取引をしたい顧客がいる?

ーーー
 障害を補うほどの、障害部分以外がよほど優秀な、例外障害者は別として、
一般的な障害者が持つ「運命」は、体力知力で弱者の健常者と同じなのです。

 一般障害者が、雇用を得たければ、
 好景気期でさえ、派遣、パート、よくて契約社員なのです。
 それも、零細や衰退企業、よくて普通の中小企業までです。

 平均健常者でさえ運が悪いと職にありつけない不況期は、もちろん、福祉と生活保護なのです。

ーーー
 正社員を簡単に切れない労働法制の中、
 もし障害者を正社員に雇う社長がいたら、
 障害者と運命共同で会社ごと心中したい、よほどの人格者か狂信者か、どちらかか、どちらともかです。

 もし障害者を正規公務員に雇う公共機関があったら、
 そこの公共機関自体と、責任者構成員は、
 納税者への背任者であり、税金の過剰搾取者です。

ーーー
 社会の余裕に応じた、最低限のセーフネットを、保険として、構築する。
 ブランコ乗りが、何回ネットに落ちたかで、サーカス会社が、給与待遇の量や、契約の継続解雇を決める。
 「その何回ネットに落ちたら解雇」、の部分が、いわゆる、中道右派と中道左派の違いです。
 中道右派は、比較的厳しく、中道左派は、比較的甘い、その違いです。

ーーー
 障害者に公務員や大企業職員待遇を与える、大甘不正行政は、
 サーカスで言えば、
 目が見えない足がない人に、空中ブランコ台に上らせ、「さあ飛び出せ」、「心頭滅却すれば空中ブランコも乗れる」と、健常者が後ろから突き落としている点で、酷だし、 
 耳が聞こえない手がない、元来チケットもぎりや裏方掃除をやる程度の能力の人に、ブランコ乗り同等の待遇給与を与え、顧客が拍手喝采を与えている点で、不正です。

 すなわち、「極右の仮面をかぶった極左行政」ということです。
 この点は、協力隊と同じです。

 協力隊は、「甘やかしつつ無理なことをさせている。」のに対し、障害者採用は、「厳しくみせかけて甘やかしている。」の,違いです。

ーーー
 民主主義社会では、極右や極左の少数派は、少数派として、身の程に応じて、おとなしく謙虚に生きなければなりません。
 主張が通らないことが多いのです。極右は、足を引っ張られまくり、極左は、追い立てられまくるのです。
 しかしそれは、彼らも「受け入れなければならない」のです。

ーーー

 公職への障害者特別枠の廃止の必要性。 および公共機関による、大企業への障害者雇用の強要脅迫を禁止する、必要性について。

 障害者福祉において、「自立」という言葉は、やはり止めた方がいいと思う。

 動物の世界で、自立しているのは、野生の狼や猪であり、ペットの犬や養豚場の豚ではない。

ーーー
 人間は、進化の流れで社会性と知能をもってきた生物だが、一人でできないことは「助け合い」ながらも、それは、お互いに「得」をするために、共同してきたものだ。

 太古の時代、アフリカの森林がサバンナ化して、人類の祖先が、地上に降りなければならなかった時、降りている時間帯が増えた時、ライオンに食われないためにどうしたか?
 初めは、足がのろく筋力の無い遺伝子個体群は、順番にライオンのエサとなって淘汰された。
 生き残った、足が早く筋力が強い遺伝子個体群が、頭を使って、やがて巨岩(たたく)や鋭利な石(切る)や弓矢(飛ばす)や火を使うことで、群れで来るライオンに群れで対抗することで、生き残る可能性を高めるようになった。

ーーー
 だから、「助け合う」根拠には、お互いに「得」になる、という数式が大前提だ。
 逆に言えば、「損」になるのに、なぜ「助け合わなければ」ならないのか? ということになる。

ーーー
 目が見えなかったり足がない犬や豚を、山に放せばどうなるか? 
 その日のうちか数日後に、他の動物のエサとなる。
 いくら人間が知的な生き物だからって、極端に体に障害がある人物達は、やはり「自立」できない人達なのである。

 「無理」という言葉は、「理が無い」という意味だ。
 「自立」できない人を、「無理」に「自立」させようとするから、どうなるか?
 すなわち、「嘘」「詐欺」の温床になるのである。

ーーー
 公務員は、「士農工商」でいえば、「士」だ。現業職だって、下級武「士」だ。
 いわば、上に立ち、刀を持ち、権力を持ち、人口の7%で残りの93%を支配する人達。
 その分、凶作の年には、飢えて農具を持って押し寄せてくる一揆を、武器で鎮圧しなければならない人達。
 その分、常に鍛錬を怠らず、強い規律で縛られ、秩序を乱せば自ら腹を切らなければならない人達。

ーーー
 そういう立場の身分に、なぜ自立できない「障害者」「弱者」が、特別枠で入れるのか?
 なぜ税金を搾取する、その分責任を負う「強者」「優秀者」の世界に、正反対の「障害者」「弱者」がいるのか?

 やはりこれは、「詐欺」だと思う。

 すべて、「平等」というフランス革命以来の「虚構」の洗脳があるから、障害者団体も頭に乗って、公職に特別枠などを求めるのである。

ーーー
 江戸時代は、ほんの一部の、社会貢献した豪農や豪商、被差別民の頭領に、例外的に、擬似的な士分格を、名実それぞれで与えたりした。
 しかしこれは、先祖の能力功績で定まった身分制度が、後々の世代の個体同士の能力に、必ずしも100%反映しないケース、があったからである。

 すなわち、ごくまれに鳶が鷹を産み、それ以上に、鷹が鳶を産むことが、まれにではあるが、おこるからだ。

ーーー
 しかし、障害者の定義は、身分制度ではない。
 祖先が関ヶ原で負けてお家取りつぶしになったから、祖先が幕藩体制の開始時期に農民だったから、子孫も支配される身分になるのが、封建身分制度である。

 祖先が労災にあって障害者になったから、祖先が日本国憲法公布の時に障害者だったから、子孫も障害者身分になる。
 こんなこと、先天障害の場合は生理的遺伝子的にあり得るが、身分制度的には、あり得ない。

 障害者の定義は、「個体」、および先天性の場合は、「個体、およびその個体が持つ遺伝子」に、あるのである。

ーーー
 一度公職に、なんらかの程度で関わったことのある人ならわかるが、
 どれだけの人が、たとえ規律が厳しくとも、責任が重くとも、「公務員」になりたいか?
 もちろん、最近不況が多く、日本の場合は、公職に、安定で終身雇用が多いこともあるが、
 公務員試験の倍率を見れば、一目瞭然である。

 なぜ、あきらかに一部の能力が劣る人間に、それも手がない足がないなど、あきらかに業務に大きな支障が存在する人間に、
 「士」身分への、「特権」枠が、設けられているのか?

ーーー
 はっきり申し上げて、これは「不正」「腐敗」「詐欺」「堕落」です。

 土木研究所で、もともと本省採用だが、本省について行けずに独法に流されたKという人に、いかに本省での業務が激務か、愚痴られたことがある。

 税金が流れる行政には、
 上の数%の、全体の税金を預かり、重い責任を負う強者優秀者の人達と、
 下の数%の、「自立」できず、労災や病気に対する健常者の保険制度の恩恵により、税金から福祉手当を受け、お目こぼしをいただく、
 その社会の余裕に応じた最低限の保障生活を受け取る、弱者障害者の人達と、
 はっきり明確に分けなければならない。

―――
 税金を所得にもらう点では、公務員と福祉受給者は同じだが、その意味は正反対で全く違うのだから、「混同詐欺」「混合詐欺」は、許してはならない。

ーーー
 X軸を能力、Y軸を人口に取ると、だいたい個体群は正規分布になるが、
 真ん中の多数派(中庸層・平均層)をはさんで、
 能力が高い少数派は、集団を「助ける」「リードする」側に回り、
 能力が低い少数側は、「助けられる」側に回るのである。

 完全に自立できるのは、能力が高い少数派と、せいぜい真ん中の多数派のうちの上半分である。

 「助けられる」側が、なんで税金を運営する身分、上から見下ろす身分につけるのか?こんな不正はない。

ーーー
 特別枠だから、末端の業務、特殊な業務しか与えていない、幾分だけだが削った給料にしている。
 そんなの言い訳やごまかしに過ぎない。

 弱者障害者が、公務員の身分、「能力正規分布の、上の数%がつける身分」についている、そのこと自体が、
 たとえ小さな自治体レベルであっても、いくら業務や給与で小細工を凝らしても、問題なのである。

ーーー
 今の日本の富の余裕からいって、重度知的障害者を除く、体力障害や軽度知的障害への、生活保護制度・福祉手当・健康保険・労災保障は、今のところ存続可能だ。
 制度不備や改善の必要は時事あるが、根本的になくす必要はない。

 つまり、重い障害を持つ人達は、どのみち「自立」していないし、「自立」できないし、「自立」する必要もないのだから、
 「お目こぼし」をうけて、福祉保険制度の下、「生きさせていただく」ことができれば、いいのである。

 そこまで潰せと言うほど、私も鬼ではない。

ーーー
 現代の社会で、交通事故で足が無くなるリスクを100%無くすことは、どんなに気をつけていても、誰にも不可能である。
 だから、足がない人に、自然に死ねとか、車イス邪魔だから出歩くなとか、役所や図書館や地域道路のバリアフリー改修に税金を使うなとか、
 自分や家族友人が逆の立場になるケースを想定すると、誰も言わない。

ーーー
 しかし、まず、公務員に、障害者特別枠を設ける必要は、ゼロである。

 いい方は悪いが、
 小学生を教員に任命する学校が、どこにある?
 受刑者を刑務官に任命する刑務所が、どこにある?
 重病患者を医師に任命する病院が、どこにある?

―――
 小中学生に過剰暴力や猥褻をする教員、受刑者を過剰虐待する刑務官、重症患者で実験遊びする医師看護師、
 まれにこういう仮面強者、不適格優秀者がいるからといって、
 「逆のことをすれば全てよくなる」ほど、世の中、単純でも甘くもない。

 社会性を逸脱した、必要以上の個人欲望や悪ふざけのために、障害者を過剰虐待する福祉公務員がいるなら、これは問題だ。
 しかし、これは、彼ら強者優秀者に対し、権力にタガをはめさせ、武士階級のように規律と自制能力、切腹のような罰則制度を求めることで、解決させる問題である。

 障害者に、「無理に」「錯誤的に」、公務員ポストを与える、「甘やかし」をする根拠にはならない。

ーーー
 大企業だって、そこに入るのに、どれだけ高校生の頃から、はっきり申し上げて小学3年生の頃から、健常者は、勉強漬けになるか?
 それでも、最後の入社試験通らないだけで、全てがパーになるのである。

 なんで、大企業が、いくら内部留保があって、余裕があるからといって、なぜ能力が低い障害者を、「偽善的に」「嘘の平等思想に基づいて」、特別枠で雇うのか?

―――
 大企業で働いている人を、多く、身内から知人適度まで含めて、知っているが、はっきり申し上げて、彼らの大半は、並の体力知力ではない、強者優秀者ばかりだ。
 その優秀集団の中でも、集団内の平凡や下の方だと、あまりにきついので、ポストを守るために、家庭を顧みる余裕のなくなる人もいる。
 体力的精神的にやっていけなくなり、通院入院したり、俗に言う「負け組部署」「負け組部屋」に異動になって干される人もいる。

ーーー
 民間は、経営陣が、この人を雇いたいと思えば、勝手に雇っていい話で、
 株主従業員しか、直接文句言わないし、顧客は間接的な干渉しかしない。

 しかし、少なくとも、公共が、障害者を何%雇え、とか、民間に強要脅迫するのは、
 これは、民間への営業妨害や、健常求職者に対する迷惑行為、納税者に対する背任ではないだろうか?

―――
 何度も言うが、能力的に「自立」できない、can notでキャパのない人は、
 「無理」に、「虚構」「詐欺」のもとに、「自立」もどきを、しなくていいのです!

 福祉制度のお世話になれば、最低限の生活は保障されるのです。
 公務員になりたければ、健常者と同じ試験を受け、もし筆記を通ったら、面接で、優秀者かどうかシビアに判断される能力判定を、健常者と同じ土俵で受け、その結果を「受け入れ」ればいいのです。

 大企業に入りたければ、同じように健常者と同じ試験を受け、もし通れば、シビアな能力判定の面接を受け、その結果を、「受け入れ」ればいいのです。

―――
 常識的に考えれば、
 本当に、なにか顕著な能力があってよほど運のいい障害者のみ、中小企業の中での、まれな人格者の社長さん達が、経営に余裕のある間、契約社員などで雇ってくれるかもしれません。

 たいていのケースは、よくてパートか派遣、または失業中になるでしょう。
 失業でも、福祉手当と生活保護で、彼らは社会の余裕に応じて、生きていけます。

 それで、いいのではないですか?
 何がいけないのですか?

ーーー
 国会議員の方々様は、障害者「自立」という「虚構」を改善し、
 障害者公務員の解雇、大企業への雇用強要の廃止、
 を実現して下さりますよう、
 「嘘」に満ちた「平等」社会でなく、「真実」に満ちた「公正」社会を実現して下さりますよう、
 法制化をよろしくお願い申し上げます。

 良質な知力秩序の構築の必要性について。

 太古・古代・中世近代・現代 と分けてみる。

 

 

 太古は、無秩序の暴力の時代。闇の時代。

 

 古代は、無秩序の暴力を克服した時代。ローマ法による、武力をコントロールした、良質武力の秩序の時代。光の時代。
 
 中世近代は、武力秩序を嫌った詐欺師集団による、キリスト教などの詐欺の時代。闇の時代。

 

 現代は、詐欺による無秩序を克服する途上にある、良質な知力秩序を築くことが求められている時代。知力をコントロールしなければならない時代。光の時代に移行しなければならない時代。

 

ーーー
 これは、竹中平蔵先生のFact or False でいえば、Factだと思う。
 
 福祉保険という仕組みの「原始生命体」を考え出した点では、個々の個体次元にとっては、一定の実現可能な程度範囲なら、キリスト教などの知力詐欺は、功績の面もある。

 

 しかし、聖書に書かれていることは、1の真実に9のファンタジーを混ぜた「物語」である。

 

 元来、「この物語はフィクションです。実在の人物とは一切関係ありません。」とか、たばこや酒のように、「楽しい読み物ですが、信じすぎると、何%の確率で、あなたの知能に悪い影響を与える可能性があります。」と、注意書きが必要な読み物だ。
 
ーーー
 保険は、受給者の割合頻度と受給料金が高騰すると、加入支払者は払えなくなり、破綻するものだ。
 また、受給料金が少なすぎ、加入支払料金が高すぎれば、加入支払者にメリットが無くなる。(携帯電話の紛失保険がいい例。)
 
 だから、本当に滅多にしか起こらない、しかし誰にでも起きうる大きな災害に対してのみ、一定以上に髙い受給料金で、一定以上に安い加入支払料金で、実現し、
 受給者も加入者も「得」をするものだ。
  
ーーー
 だから、実現可能な保険数学を無視して、極端に弱者保護を強要する宗教は、やはり、「詐欺」なのである。
 
 弱者が、生き残るために、挙げ句の果てに、強者を踏みにじって不自然に権力闘争に勝って、不自然な贅沢をするために、知力を振り絞った努力は認める。 

 

 しかし、そういう詐欺「努力」こそ、それこそ「最後の努力」にしなければならない。

 

ーーー
 ナチスドイツは、初期の「2割の、党派詐欺+ゲルマン人の中での良質武力秩序」の後に、中期の「6割の、ゲルマン人以外への暴力」、末期の「2割の、ナチ党以外のゲルマン人および外部への暴力」が続いた政権である。

 

 だから、トップの党派詐欺の部分や、初期の内部での経済改善の功績もあれ、基本的に、全体的には、暴力政権である。

 

 

 

 フランス共和国は、初期の「2割の、暴力政権」のあとに、「8割の、フランス人の中での良質武力秩序、およびフランス人以外への詐欺思想輸出」が続いている政権である。

 

 だから、国内的にはともかく、対外的には、「自由・平等・博愛」という「無秩序・嘘・不可能」を広める、詐欺政権である。

 

ーーー
 暴力政権が滅びて、詐欺政権が残っている現状。

 

 太古の暴力王朝群や、ローマ人内部のみとはいえ良質武力秩序を実現したローマ帝国さえ滅びて、
 形骸化したとはいえ、キリスト教など詐欺宗教が残っている事実。

 

 

 これらの事実は、「強者どもが夢の跡」のように、
 いかに武力による暴力政権が、短期的に成立しても短期的に滅びやすく、
 いかに知力による詐欺政権が、長期的に成立するが故に、なかなか滅びにくい。
 この証明である。

 

ーーー
 暴力の弱点、暴力を倒す相手は、より強い暴力か、または知力である。
 詐欺の弱点、詐欺を倒す相手は、より深い詐欺か、または真実である。

 

 真実を明らかにするという点で、「科学」は、光である。

 

ーーー  
 「武力」は、自らを守り利益をもたらすが、いきすぎると、社会性を無視した「暴力」になる。
 「知力」も、自らを守り利益をもたらすが、いきすぎると、社会性を無視した「詐欺」になる。

 

 どこまでが良質武力でどこからが暴力か、これは、古代のローマ時代までに、さらにルネッサンス以降から第2次大戦までの国民国家復興期に、だいたい明らかになっている。
 

 

 しかし、どこまでが良質知力でどこからが詐欺か、これが、多分、今も、法律上も不備だし、社会実験の途上なのだと思う。

 

 福祉詐欺の存在、甘えて能力以上の贅沢をする障害者の存在は、まだ社会に知力コントロールと良質知力秩序がいきとどいていない、証拠である。

 

ーーー
 応能負担というなら、応能受益・応能雇用・応能所得・応能趣味・応能人生を送らなければならない。
 
 それがわかっていないで、少ししか負担しないくせに、もらうものは健常者並みにもらおうという、
 福祉詐欺師が、はっきり申し上げて、多すぎます。

 

   (2010年12月14日、PM12:47分)

 

 障害者行政における、無駄な公費支出の、削減の必要性について。

 読売新聞で、10代に、先天的な病気(遺伝子)で、片足を切断した人の、記事が出ていた。
 もともと野球をやっていたので、障害者野球を続けたという。
 最近、日本で世界大会があったので、出場したということだ。

 

 少し前、元競輪選手で、業務(レース)中の事故で、半身不随になり、リハビリした人についての、TV番組をやっていた。
 結局、現役には戻れず、それでも自転車が好きなので、これも障害者レースに出ていて、パラリンピックを目指しているという。

 

ーーー
 こういう人達が、非常に苦労人なのは、事実と思う。

 

 野球少年だった人が、先天的な病気で足を切るとき、治療費やリハビリ代が、健康保険で出ること。その後の生活に、福祉手当が出ること。

 

 業務中の事故にあった人に、労災保険が支払われ、業界や公共が、責任もって、日常生活や常識的な雇用生活までのリハビリを助けること。
 障害が残るなら、やはり生活に福祉手当が出ること。 
 
 これ自体は、普通のことや、当然の保険・社会福祉だと思う。

 

ーーー
 しかし、もし障害者世界野球?の開催や出場に公金が使われたり、
 上記の労災受給者が、障害者スポーツの国内大会やパラリンピックに出ることに公金が使われるなら、
 これらは、「甘え」で、社会は許してはいけないことだと思う。

 

ーーー
 このあたりのバランス感覚が欠如し、「障害者の甘やかし天国か、障害者の過剰虐待地獄か」、どちらかの極論しか考えられない馬鹿や狂信者が、けっこういると思う。

 

 そう言う奴らは、上記のようなことを言われると、「障害者を虐待するのか?」とか過剰反応して、
 知識階級は、「嘘」「詐欺」「詭弁」、現業階級や女性は、「観念と狂信」「目先の浅知恵」で、
 言論自体を封殺しようとしてくる。

 

ーーー
 上記程度の先天的病気の人に、健常者の保険料や税金から、治療代やリハビリ代を出すな、とは言えない。
 労災の人に、非労災者の保険料や税金から、治療代やリハビリ代を出すな、とも言えない。
 一定程度の常識の範囲の福祉生活手当を出すな、とも言わない。
 
 しかし、上記のような保険は、一定の範囲内なら、健常者や非労災者に、負担とはいえ安心保険にもなるにしろ、
 その後の、「趣味の世界」にまで、保険料や公金を使われては、これは健常者や非労災者は、たまったものではない。

 

ーーー
 野球は、楽しいスポーツだが、人数が必要なスポーツだ。
 場所は、低額の河川敷球場程度なら、だいたいの自治体が備えているからいいとして、
 やはり人数がそろわないと、どうしようもない。

 

 地方に行けば、草野球程度でも、人数がそろわない、または、集まろうとすれば交通費やガス代が馬鹿にならない、
 それで、あきらめたり頻度が限定されている、社会人が、多くいる。

 

 あきらめた人達や頻度が限定された人達は、それこそ自転車なり水泳なりテニスなりバスケなり、人数が少なくてすむ遊びで、やりくりしている。

 

ーーー 
 学生までならともかく、社会人は、
 そうやって経済条件・社会条件と格闘しながら、「趣味の世界」でも、やりたいことと現実にできることに葛藤して、なんとか妥協点を見いだしているのである。

 

 労働生産性が低く、少数で広い地域に分散している障害者が、自費で野球を、そんなに多くの頻度でできるとは、とても思えない。
 もし公金が入っているなら、これは止めなければならない。

 

 こういう公金支出制度に寄生している公職者は、正規なら配置転換して、独法財団なら解雇しなければならない。

 

ーーー
  そりゃ、野球をしたい障害者も、生活地域ではなく、日本国内レベルや、道州規模で探せば、18人集まるだろう。
 しかし、そんな広域規模の人間集団で、「趣味の世界」で、実際に集まってやるスポーツをするなら、
 それこそ練習どころか、即本番の試合ひとつ、年に1回できるかどうか、の次元だ。

 

 年に1度のそれすら、片足がない人や似た障害の人ができる労働で、稼ぐ金では、
 交通費・宿泊費・機材費・輸送費、きついかもしれない。

 

 世界大会など、論外である。

 

ーーー

 

 こういう時、彼ら障害者を、「かわいそうだから。」といって、甘やかすのは、そうしたい人だけが、「趣味の世界」で私的にするのは勝手で自由だ。

 

 しかし、絶対に、行政制度や公金にたからせては、ならない。

 

 本当に、彼ら障害者らに、「平等思想という嘘八百をたてに、脅したり泣きつけば、健常者にたかれる。」という、悪質な教育や影響を与えるだけである。

 

ーーー
 やはり先天的病気(遺伝子)が理由で、片足がない人や、似た障害の人は、
 「趣味の世界」では、健常者にたかるのではなく、

 

 その生産能力に見合った、趣味を選ぶべきである。

 

 野球の全国大会、挙句の果てには世界大会など、年に何億かせぐプロたち、「健常者の中の健常者」がやることである。
 信越や四国の地域プロはもちろん、八百屋やサラリーマンの草野球愛好者たちは、世界大会どころか、全国大会でさえ、考えたこともない夢のまた夢である。

 

ーーー
 なんで本来なら飢えて早死にしているはずの人たちが、
 ただでさえ治療リハビリ・日常生活費さえ、健常労働者に出してもらって、生きさせてもらっているのに、
 全国大会?世界大会?に出れるのか?
 
 公金支出しているなら、こんな不正や腐敗は、一刻も早く止めさせなければならない。

 

 それで彼らが腐るなら、勝手に腐ればいい。
 甘ったれて自暴自棄になるなら、勝手にグレればいい。

 

ーーー 
 地方で草野球やりたくても、人数が集まらなくて、お互い遠いので交通費が負担で、
しかたなく、二の次・三の次・十の次に興味あるスポーツ、
 テニスでも水泳でも、消化不良で楽しみながらしている人たち、
 そんな八百屋や社会人が、どれだけいるか?

 

 そういう人たちの中でも、業務で忙しく、週休常に2日あるわけでもなく、月曜からの業務に差し支えるからと、
 楽しいが疲労が多いスポーツを、涙を呑んで余暇にあきらめざるを得ない人たちがどれだけいるか?
 
 奴ら甘えきった障害者たちには、はっきりわからせる必要がある。

 

ーーー
 また、一定以上の大きな先天的な病気を持った人は、優秀な遺伝子を次世代に残して、人類の進化と繁栄を図るという、
 個体欲を超えた、種族欲や社会性のためにも、
 子孫を残してはいけないのではないか?

 

 先天障害者への次世代中絶政策は、法制化と、医師警察による強制執行が必要なのではないか?

 

ーーー
 労災の人には、先天障害者(遺伝子欠陥)に対するよりは、社会も寛容になる必要がある。
 ある意味、使用者・同僚・顧客はもちろん、赤の他人の非労災者にも、労災のある社会を運営している責任もある。

 

 しかし、やはりパラリンピックなど、贅沢である。
 後遺症が残り、競争社会の競輪業務にもう戻れないなら、それこそ自転車は一人でできるのだから、「趣味の世界」だけで、やるべきである。

 

ーーー
 人員的には、野球と同じで、広域でないと同好障害者を集められないのだから、当然費用もかさむのだから、
 多く集まっての大会試合など、よほど低い頻度でしかできない。
 金が足りなければ、あきらめるしかない。

 

 しかし、それは、彼も「受け入れる」しかないことなのである。

 

 それを「受け入れ」させないで、
 甘やかす人たちがいるものだから、
 本人も増長して、パラリンピックなど、馬鹿なことを言い出すのである。
 
ーーー
 野球の項でも述べたが、「趣味の世界」は、スポーツ分野でも、
「金のかかるもの・人員のかかるもの~金のかからないもの・人員のかからないもの」まで、いろいろある。

 

 スポーツ分野以外では、さらに金や人員のかからない趣味もある。

 

 

 「大人」の社会人は、誰もが、やりたいこととやれること、理想と現実に葛藤しながら、なんとか妥協点を見出しているのである。
 努力して、少しでもやれることや現実を増やそうとしているのである。または、どうしても手が届かない、やりたいことや理想は、あきらめるのである。

 

ーーー
 体力的に弱くなれば、やれることと現実は、確実に減る。
 老人になれば、誰もがそうなるし、先天障害者は、若い頃から、それを受け入れなければいけない。

 

 労災者は、先天に比べれば、人災なので気の毒ではあるが、それでも、ある程度は、現実にできることを、本人は受け入れなければならないと思う。
 

 

 事故に納得いかないなら、業界や事故の責任者を、法務省的に訴えたり公益通報したりすればいい。
 しかし、赤の他人に、最低限の日常生活の福祉手当以上に甘えるのは、絶対に止めてほしい。

 

ーーー
 キリスト教がどれだけ背後にあるのか知らないが、パラリンピックは、やはり一種の「詐欺」だと思う。
 ダビデとゴリアテの物語の様に、体力で劣るほうは、必ず知力で勝とうとする。

 

 だから、一般論的に、障害者は、重度の知的障害を除けば、よほど「狡猾」である。
 軽度の知的障害も、障害がある知的部分以外は、盲人に聴力が発達するように、「狡猾」になる。
 
 だから、健常者は、彼ら障害者を、劣っている人たちだと思って、優しくしたりなめてかかっていると、しばしば、彼らの狡猾さにだまされることになる。

 

ーーー
 だから、健常者も、いつも知恵を振り絞って、障害者や障害者の家族に、だまされないように気をつけなければならない。
 
 フランス革命以来の、虚構に満ちた平等思想をたてに、
 彼ら障害者および障害者家族は、常に健常者を妬み憎み、「いかにしてたかろうか?いかにして騙そうか?」考えている。

 

ーーー
 公共の「外交」に手を出してよいのは、「体力」「知力」共に健全で、更に平均よりかなり上の、「DNAと個体としての貴族」のみである。
 
 これは、私の政治信念です。

 

 国1に受からなかった私は、「貴族」になれなかった「平民」の人間です。
 だからこそ、逆の立場でも、
 「貴族」でないのに、「外交」に手を出そうとする、
 甘ったれたJICA職員・協力隊員、挙句の果てには、障害者たちの増長と甘えが、許せないのです。

 

ーーー
 普通の人が、海外に行っていけない時代ではない。
 「国際交流」は、自費でやっている限り、他人が文句を言う筋合いではない。
 
 しかし、普通の人がやる「国際交流」は、数ヶ月働いてためた金で、グアムに行く、韓国に行く。そこで楽しむ。
 または、日本にいる米国人や欧州人、アジア人と知り合う。
 そういうものである。

 

 珍しい国に高い金を払ってでも行きたい人は、その分、より働かなければならないし、能力がないなら、あきらめなければならない。

 

ーーー
 日本は、旧帝国で敗戦国だから、本質的には、少なくともまだ数世代は、日本人は、旧植民地や戦勝国と、一定以上に仲良くなるには無理がある。

 

 個人ごとの多様な相性利害もあるとはいえ、全体的に一定の距離を置いて付き合わないと、少なくとも、どちらかが、嫌な思いや損害を受けることが多い。 

 

 日本人は、ドイツ人やイタリア人相手を除けば、合衆国人や戦勝国人とも、挙句の果てには旧植民地人とも、
 よほどの体力知力の強者同士(耐久力のある)を除けば、
 そんなにべったり人間関係くっついて、いいことなど余りない。

 

ーーー

 

 それだけ異文化・異なる人たちと、表面的な付き合いは別として、深く仲良くなるのは難しいのに、
 平均並みや弱者、(たいていの障害者は弱者に入る。)が、
 表面的には華やかできれいにみえるからといって、安易に国際交流に手を出そうとするのは、あまり感心できない。

 

 それでも、自費でやっているなら、自己責任の話だが、
 公費を使うなど、論外であり、たかりであり、はっきり申し上げて、犯罪です。

 

ーーー

 

 はっきり申し上げて、非常に迷惑です。

 

 国会議員の方々様におかれましては、
 パラリンピックへの一切の公費支出を禁止する法制化と強制を、よろしくお願い申し上げます。

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