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 ハラスメントで騒ぐ人達について。

 セクハラやパワハラについて、「これは相手がそうだと思ったら、不快に思ったら、セクハラだ、パワハラだ。」と言う論調がある。

 これは行き過ぎな論調かと思っていたが、よく考えれば、いかにも科学的根拠を大事にする合衆国らしい考え方だ。

 「不快に思う。」ということ = 「一定の生理的損害。」、とすれば、たしかに、その定義は当てはまる。

ーーー
 要するに、「あなたの行為によって、私は損害を受けました。」と主張する、伝達する手段として、セクハラ・パワハラの定義はあるのだろう。

 ハラスメントを、まるで犯罪のように勘違いするから、指摘されると「その程度ではハラスメントではない。」と否定する人が出てくるのであって、

 要は、単なる、人の損得勘定と言うだけのことだ。

ーーー
 だから、「あなたは、私に損をさせているぞ。」と相手に伝えるために、
 セクハラ・パワハラを指摘する人が出てくるのは、

 それ自体は、否定したり、会社で封じ込めたりしない方がいいと思う。

 「ああ、あなた損したんですね。」と受け止める、その程度のことなのだ。

ーーー
 ただ、周りの人間は、一卵性の双子や完全なクローンではないのだから、
 個体の遺伝や生育が違えば、好き嫌いが異なるのだから、

 他人と近づくだけで、一定以上に損得の摩擦が起きるのは、避けられない。

 通りすがり(偶然の接近)で、あるタイプの他人の、顔や容姿を見ただけで、その相手を不快になることも、当然あるのである。

 周りが全てクローンの社会でないのだから、
 日常生活しているだけで、または雇用や義務学校のような、寄せ集めの人達が近くにいる環境で、
 不快になることは、多々ある。

ーーー
 このあたりの不快の正当性の程度は、社会集団の統計で判断するしかない。

 多数の人が、あんまり小さいこと、下らないことと判断する程度の不快で、
 過剰に大きく不快だと叫ぶ人は、

 その人は、「生理的に虚弱だ、少なくともその分野で生理虚弱だ。」と言うことで、そう判断するしかない。

ーーー
 だから、そういう類の人、すなわち、
 他の多数の人が、たしかに多少不快でも、程度の問題でそれほど騒がない内容で、不快だと過剰に騒いで暴れている人には、
 
 生物学的に、「生理的に弱い人だ。不良品だ。」と判断するしかないのである。

ーーー
 そのことが、
 日常的な意思伝達の目的程度を越えて、過剰なわがままや、自分の好みを他人へ押しつけるために、ハラスメント被害を主張する、
 そういう社会性の欠如した弱い人物に対して、
 
 うまく別の人や社会が対応する根拠になる。

ーーー
 社会で問題なのは、
 まず、
 そういう、しょっちゅうハラスメントの被害主張している、いかにも弱い人だと、表で明らかにわかる人ではなく、

 そういう生理的弱さを、世間体や見栄、あるいは他人を騙すことが趣味のために隠し、いかにもハラスメント不快を受けていないように装って、

 実際には、勝手に傷つき苦しんでいて、その不快分を、陰湿に、別件などでかこつけて、相手への攻撃で、はらそうとしてくる人。

 これがA級戦犯レベル。

ーーー
 次に問題なのが、

 ハラスメント被害を表で過剰に叫んでいて、
 自分があたかも絶対正義の主張をしているように思い込んでいて、
 
 社会常識的な、上司による部下への指導、社会常識的な、異性間での生理的行動、
 こういうことをしているだけの上司や同僚部下に対して、
 
 全部、ハラスメントする相手がいけないんだ、と解釈している、他人のせいにするしか能がない人間。

 自分が単に、生理的に虚弱で不良品であることに気付かない、どうしようもない人間。

 これが、B級戦犯レベル。

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