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2013年5月

 オスとメスの性分化、 従軍慰安婦問題について。

平成25年5月17日
Kensuke Yamazaki

 生命体では、
 下等生物では、種によっては、
 雌雄の区別が無く、そのまま体が細胞分裂して増殖したり、
 容易に同じ個体が性転換したり、
 ひとつの個体に雌雄両方の機能が備わっていたり、する。

ーーー
 しかしそういう形では、その種は、あまり高度な生命体に進化できないので、

A;
 自分1代の生命個体として、同種内での権力闘争・外部異種との生存競争に、勝ち残るための闘争機能。

B;
 いくら個体として強くても、生命体の運命(さが)として、時間とともに、個体はいずれ衰え老衰して、死んで滅んでしまうので、
 権力闘争や生存競争に個体として生き残っているうちに、次の世代を再生産する機能。

 これを分けたのである。

 それが、Aオスと、Bメスの、分化・分業の原因である。

ーーー
 だから、鴨アヒルのように、種として弱い、草食種のメスは、みじめなもので、
 繁殖期には、いつもオスに追っかけ回されて、上に乗られて、禿になるほど後頭部の羽毛を咥えられて、
 オスは、メスが逃げないよう抵抗しないよう、メスの頭を何度も水の中に後ろから押さえつけて、レイプ交尾をしている。
 それも、多数のオスが、入れ替わり立ち代り一羽のメスに乗っかるので、まさに人間でいう、輪姦である。

 オス自体も、鴨は、Aの個体闘争機能は、成体がイタチにすら食われるぐらいだから、飛んで逃げる以外は、非常に弱い種。
 何千キロも渡りをする高度な飛翔と移動の能力と引き換えに、同じくらいの大きさの他種に対する、直接的な戦闘能力は、ゼロに近い。

 オスですら、それだけ、個体闘争という意味では弱いのだから、
 メスは、さらに個体として、小型で闘争に弱くて、卵を産むしか能が無い。

ーーー
 鴨が家畜化されて、飛翔能力すら失ったアヒルなどは、更に哀れで、
 人間の需要である肉卵の生産のために、血統としてもデブ血統しか存続を許されなかったので、
 もはや、老化=足の故障=自然界では早期の死、という運命にある。

 人間で言えば、小錦関の最太期のような超肥満体形の人が、杖も手術も人工器具の介助も何も無く、自然な老化を迎えるようなものである。

ーーー
 ちなみに、
 メスのアヒルのほうが鳴き声がうるさいのは、
 うるさくしていると多くのオスを招きやすく、競争に勝った強いオスから、強い子孫を残せるからか、
 または、人間が介入してオスからのレイプ輪姦を妨害してくれやすくなるからか、
 オスに対して非常に従属的な立場を強いられるので、弱い犬ほどよく吼えると同じで、叫ぶことでストレスを発散しているのか、
 どれかの理由による進化だと思う。

ーーー
 一方で、虫の中では強者である蟷螂は、逆に、
 メスが、繁殖前に、オスを食べて殺してしまう。
 メスのほうが、オスより大きかったりする。

 なぜ、そんな無性生殖の原始生物への退化のようなことをして、
 子孫を作る以前に、個体として権力闘争や生存競争で他種に負けて、ほかの種に食われて、結果的に繁殖もできないで滅亡、
 そんな事態にならないですんでいるのか?

 それは、もちろん、
 蟷螂が、
 虫のような下等な系統ではあるが、
 虫の中では比較的強いので、虫の世界内での権力闘争をあまり心配する必要が無い。
 鳥には食われるだろうが、より鳥にとって消火器官を傷つけず抵抗損害も少ない別種の虫が、他にもあるので、必ずしも群れの全部の蟷螂が鳥に食われるわけではない。
 また、所詮、下等な虫なので、卵はたくさん産めるし、親が育てる必要も無いのだから、卵を産むためだけの短い時間を、メスはオス無しで生きられれば、
 再生産は十分保障される。

 そういう理由で、
 Aの機能を、メスがオスに分業して任せないで、AとBをメスだけでほとんど独占して、
 オスにはあくまで種付けだけの機能しか持たせない、
 そういうメス業社会が、蟷螂では、成立している。

 蜂の社会も、似たようなものである。

ーーー
 人間はどうかというと、
 蟷螂や蜂のような、小さな虫の中の世界では強者かもしれないが、生物界全体では小者で、体格知能ともに下等な生命体、そういう程度の進化に、甘んじることはなかった。
 つまり、AとBを余り分業しない、メス一辺倒の蟷螂の進化ではなく、
 AとBを分けて、高度な体格と知能を持てる方向を、選択したのある。

 そうなると、メスは、繁殖のための機能に、生理生命力の多くを投資することになるので、
 当然、1代限りでの、体格知能を駆使した個体としての闘争機能では、男性に劣ることになる。

 哺乳類→猿→ピテカントロプス→太古の縄文人という流れでは、
 まだ人間は、初期は、それほど他種に対して優越に強かったわけではなかったので、
 必死になって、生存競争・権力闘争をするために、
 非常に男女間で能力格差が大きい種として、そういう進化の中で、社会を運営してきたのである。

ーーー
 しかしだんだん、他種には勝てるようになり、
 地球上の支配者が、熊でもなく虎でもなく鷹でもなく、ほかの霊長類でもなく、人間であることが確立されると、
 今度は、人間という種内での権力闘争が、主な闘争になってくる。

 この場合も、A闘争とB繁殖を、男女で分業して分けるやり方を、
 権力闘争にさらされた各部族間では、行ってきたのである。

ーーー
 人間の個体の能力の、一生のうちの変動推移を見れば、
 初めは体力、次に知力の、向上→頂点→衰退の波がある。

 同じように、進化の流れの中でも、
 初めは体力で権力闘争の勝ち負けを決め、
 やがて、三国志の世界のように、体力(関羽)に知力(孔明)を加えることで、
 権力闘争の勝ち負けを決めるようになって来た。

 中国は、唐や宋や明など、中原帝国の安定一元支配が確立してからは、
 辺境異民族の武力に敗れて征服される王朝交代はあっても、知恵比べでの権力闘争は、
 民事的でミクロな、細かい個人間の小さな争い以外は、知恵比べをしなくなったので、
 一定以上は、マクロな知力文化を発達させなかった。

 一方で、キリスト教のような詐欺に不当に傷つけられ、中世の停滞と苦しみとイスラムへの敗北を味わった欧州では、
 地形要素もあって、
 小国家同士が、知恵比べの権力闘争に励んだ結果、ルネッサンスや産業革命という、マクロ的な集団事業への、知能の進化をもたらした。

ーーー
 マクロ的な集団事業の行き着くところが、帝国主義であり、
 帝国主義競争に勝ち続けた社会が、昔の英国やソ連、そして、今の合衆国である。
  
 権力闘争に勝ち続けた社会、昔の英国やソ連、今の合衆国では、
 集団としては、これ以上権力闘争にあくせくする必要が無い、そういう状態になれば、
 当然、Aの権力闘争の要素が、ゼロにこそならないものの、成長競争ではなくメンテナンスだけでいいので、だいぶ負荷が減り、楽になる。

 それは、当然、A闘争とB繁殖の分業の必要性や距離を縮める事になり、
 富の分配量も増えるので、B繁殖機能を目的とした女性にも、より資源が分配されることになる。
 
 その結果、女性にとって、個人1代の間に成長させられる能力も、社会の余裕ゆえに向上し、
 Aの社会内闘争に苦労しない男たちが、ぽやぽやして社会貢献実績で、手持ち無沙汰にしているので、
 当然、男女間での能力格差は減り、女性の相対地位が上がることになる。

ーーー
 最近また従軍慰安婦問題がマスコミに出てきた。

 すでに戦前の早い時代から、英米では、
 男社会の軍隊が、女性に金を払わなかったり強制で性交を強要することが、
 ある程度禁止されていた。

 更には、
 今の合衆国では、社会ルール以上に、人によっては男性でも、強制や無報酬の性交を、感覚的に忌諱している。

 そういう、
 闘争の勝者であるがゆえに、社会内で権力闘争や生存競争の過酷さが少なく、
 豊かで女性への余裕がある社会では、
 女性の立場が、ある程度強くなる、そういうことなのである。

ーーー
 マクロ知恵比べの西洋産業革命社会がもたらした、武器の高度発達も、影響している。

 マクロな権力闘争である戦争は、前世紀から現代では、あまりにも個々人の男性にとって、
 武力では、一発の銃弾と機関銃の連射機能で、個人の体力能力に大きな相関が無く命を断たれるような、ハイリスクなものになってしまった。

 知力でも同じで、いくら優秀な参謀が優れた作戦を帷幄で練っても、
 最後は高度な兵器を持っているかどうか、行き着く先は、大陸間弾道ミサイルの航続距離と精度、核兵器の有無や質、これによって勝敗が事前に決まるようになってしまった。

 関羽が槍働きをすれば、弱い雑兵に100戦100勝、孔明が作戦を練れば、どんな劣勢でも大逆転、そういう戦争では無くなれば、
 体を鍛えても、知能を磨いても、戦争になれば、弱っぽちや馬鹿と同じく枕を並べて、銃弾やミサイルによって負けて死ぬなら、馬鹿馬鹿しくて、ハイリスクな戦争など、

 本当に生きるか死ぬかの食糧資源の争奪事態にでもならなければ、やってられなくなる。

 優秀で体力知力にあふれた人ほど、割が合わないので、そう思うようになるのが、普通である。

ーーー
 権力闘争の手段としての武力戦争自体が、よほどの非常手段以外は避けられるようになれば、
 外交討論や国会討論でやるような、甘く易しいたかがしれた権力闘争であるほど、男性的というよりは女性的な、おしゃべり社交の能力が重視されるのだから、
 社会の中での闘争分野にもかかわらず、男性に対する女性の立場が相対的に近づいて、女性の力が強くなるのは、ある程度は必然なのである。

ーーー
 私個人は、かつての緒方貞子氏を象徴偶像とする、戦後の2世代目以降の女たちに多い、共感教狂信者たちがつけ上がってつけ上がってどうしようもない、実力以上の無謀ぶり増長ぶり傲慢振りには、激しい嫌悪を感じている。

 右派優秀層の女性にも、実力以上の事に手を出して他人に迷惑をかける人はいるが、
 ひどく劣悪なのは、左派劣等層の女たちである。

ーーー
 なぜなら、太平洋戦争の原因になった日本帝国の一人一票制度は、合衆国の共和体制と矛盾しなかったので、戦後も変わらなかったからだ。

 新たに選挙権を得た女性層の中で、
 1925年以降の男性達が一人一票制度で犯した過ちとは、別の形での失敗を、
 劣等な女達が、産む権利だとかジェンダーだとか不良品の赤子にも生存権だ、とかぬかす社会では、
 歩んでいる気がする。

 (小林よしのりさんが、かつてどこかで「女のファシズム」という言葉を使っていて、この話題での使用ではなかったかもしれないが、その言葉を私は連想する。)

ーーー
 これは、1925年の治安維持法と男性普通選挙法が、太平洋戦争の日本側のおおきな原因要素になったことを、思い出せばわかる。

 フランスとロシアの王室を殺した革命と左派を恐れるあまりに、支配層が内政では徹底的に左派を弾圧する一方、
 男性国民の普通選挙への圧力と、他の外国帝国の事例を出しての圧力に、支配層が安易に屈して、
 馬鹿や弱っぽちの男性にも、一人一票の政治権力を与えたら、どうなったか?

 当時の日本帝国内での、内政についての政治的自由を制限された、馬鹿や弱っぽちの左派男性層のほどんどは、
  (共産主義教や他の宗教を信じる人たちを除けば)、
 当然、普通の穏健的な帝国主義での海外進出の程度を超えて、
 過激なまでの自国利益一辺倒の海外侵略を、求めるようになる。

 その分野でしか、政治的自由を認められていないのだから、内政での不満を転化させてまで、対外強硬侵略を求めるようになる。
 今の中国共産党統治下の中国国民のうちの、劣等な階層も、似たような感情だと思う。

---
 日本の話に戻すと、
 結局、戦争には負けたので、
 無謀な海外侵略の一因となった、一人一票の左派男性層は、当然、反省を余儀なくされ、大人しくなった。
 内政面での政治的自由も、戦後は与えられた。

ーーー
 対中対米戦争に際して、民衆が、官僚組織の軍隊の意向に逆らえなかったという話もあるが、
 これが、彼ら左派男性層による軍隊組織への責任転換なのか、どこまでの程度なのかは、
 後の世代には、よく時間をかけて文献を読んで聞き取りもして、それでも、どこまでわかるかどうか?といったところである。

 徴兵制があって男性が皆戦闘員だった当時のほうが、志願制の今よりも、
 軍隊相手の権力闘争をしたり、現役軍隊以外の力で体制へのクーデターを起こす事などは、
 体力物理的には、よりやりやすかったはずである。
 当時の大多数の素朴で従順な人たちは、たとえ能力的にできても、もちろんそんなことはやらなかったはずだ。

 軍隊の武力暴力というより、宗教影響や政策の選択ミス、民衆の知恵の問題のほうが、あったと思う。

ーーー
 話を戻すと、
 戦前の政治と対中対米戦争自体には、女性層は、なんら権限を与えられていなかったのである。

 責任は免除される事が、権限を与えられないでも女性層が納得する理由だが、
 権限無しで、男たちを信用していたら、家に爆弾が降ってきて、夫や子供が戦死や焼夷弾で死んだなら、
 これは、とてもその世代の女性たちは、やりきれないし、おさまらなくなる。

 怒りの矛先を、合衆国に向けるか、他の外国に向けるか、日本帝国の支配層に向けるか、先に述べたような左派男性層に向けるか、は、
 女性個々人の血統や個人能力によって様々だが、
 挙句の果てには、男性全体を憎むような女性まで、出てくる。

 誰に怒りを向けようと、
 この世代とせいぜい戦後の食糧難を直接経験した女性の世代が、戦前に選挙権を持っていた男性達に対して、批判的になり、人によっては、怒りを覚えるのは、もっともで当然な部分はある。
 実質的な被害者だからである。

 しかし、どんな罪でも、本人1代が背負うルールを、これは私の世代もある程度は洗脳されているのかもしれないが、いちおう社会ルールとして学習している世代から見れば、
 子や孫やひ孫が、父や祖父や曽祖父の罪に関して、罰を受ける必然は、ゼロである。
 
 先祖や親の世代の権力闘争に関し、一定以上は直接は影響されない、個人としての安心安全を、お互いに福祉保険で保障しあっているのである。

 私個人は、父方祖父は徴兵されたが、尉官以上であったわけでもない。二十年以上も前に亡くなっている。
 たしかに、戦前社会で、選挙での投票権利は何回か行使しただろうとは思うが。

ーーー
 戦前戦中の女性層にとって、
 怒りをぶつける先の、戦前に成人していた世代の男性達が、もう多くが死んでしまっていて、
 生き残った人たちも、余生を送っている、老人福祉に守られた老人弱者たちなら、

 戦前の戦争に不満のある老婆の人たちは、
 カウンセリングを受けて会話でストレスをぶちまけるか、歌でも芸術でも趣味に転化昇華するか、インテリ層がよくやるように記述本でも書くか、
 (若くなければ、体力運動での発散は、あまりできないだろう。)
 それでもおさまらなければ、
 最後は、向精神薬を飲むか、犯罪を犯す前に牢屋に入れてもらうか、動物虐待でうさをはらすしかないのではないか?

 動物虐待が違法であることには私も怒っているので、これについては、私も協力もできるかもしれない。

ーーー
 昔の日本帝国が、英米ほどは権力闘争で勝ちあがっていない、まだ絶対優位の国や社会ではなく、
 それゆえに、男性達は、権力闘争に多くのシビアな労力を割かれ、
 世界恐慌後のブロック経済の中で、富の搬入も制限され、
 女性には、女性の役割そのものである生殖しか多く求められもせず、闘争への機会を与えられもしなかった、
 すなわち、今の合衆国とも、昔の英国とも、冷戦期のソ連とも違う社会であった、
 このことを、

 戦前戦中女性たちが、十分認知した上で、不満を言うなら、
 それは、その当時を経験した世代が何か言うことは、もっともなことだと思う。

 もちろん、言いたい人が言う自由と、周りの人が聞かなければいけない義務は別なので、
 それはもちろん、他人に聞いてもらおうと思ったら、
 公共の直接の担当者の業務義務の範囲以外では、
 私的に関わる相手の、任意の了解は得てもらった上で。

ーーー
 肉食獣で、人間だけを除けば、動物の王様であるライオンの世界を見れば、
 ライオンは強い生き物であるがゆえに、メスにもそれなりの力があることは、分かる。
 メスとてそれなりの牙や爪や闘争力を持つのだから、弱っぽちである鴨やアヒルに比べれば、オスに対するメスの地位は、少しはましになり、
 オスもメスに、個体としての権力闘争でも、一定の遠慮や配慮をするようになる。

 人間社会の闘争が、
 もちろん体力が基本ではあるが、その上に知恵を掛け合わせた、「物理生理的殴り合い→知恵比べ」になるほど、
 その中でも、知恵比べの比重が多くなるほど、
 生理的な体格筋肉量の差のハンディはあっても、一生、体をさして鍛えないでおしゃべり口げんかだけをして闘争することが許される女性層は、
 ある程度は、権力闘争において、力を持つようになる。

 JICA理事長時の緒方貞子氏のような、愚劣極まりない共感教詐欺師や、
 尼崎で醜態極まりない私利私欲に走った犯罪者の自殺老婆などは、
 こういう戦後の女性層の権限の増長増大が、遂にはつけ上がってつけ上がって、超えてはいけない分相応ラインを超えてしまった失敗者たちの、
 行き過ぎた悪例である。

ーーー
 話を戻すが、
 従軍慰安婦をした、または、させられたと言っている人たちは、
 戦前ですら、英米ほど権力闘争の勝者ではなかった日本帝国の、
 さらに、植民地の朝鮮半島の被支配民族の、
 さらに、朝鮮民族の中で、別に慰安業務もしくは慰安行為を、結果的にしないですむような上流中流の女性ではない階層、すなわちおそらく下流階層の人たちである。

 彼女たちより下は、慰安の対象にすらならない、雑用係かつ経済食糧危機には飢死に一番候補の、下流階級の容姿醜悪女や豚女たちしか、おそらくいなかった、
 そういうかなり社会の下のほうの、女性たちである。

 メスの役割である、生殖の、さらにその一部でしかない、性欲処理でしか、社会貢献の機会を認められなかった人たちである。

ーーー
 多分こういう女性たちは、もし日本帝国と朝鮮が、
 末期のハンガリーオーストリア帝国のような民族対等の二重帝国であったとしても、

 自分たちより優秀な、同じ朝鮮民族の上流中流の階層の男女を、心から妬み憎み、言葉は悪くて恐縮だが、アヒルのメスのように騒いで、
 闘争力の結果の富貴栄誉を得るどころか、 
 社会の中で劣等なメスとして、生殖でしか役に立たない、または、生殖ですら子を産ませるというよりは遊びのセックスの対象にしかならない、
 そういう人生を送り、

 客観的に見れば、言い方にもよるが、
 単に、
 善意的好意的に見れば、気の毒で恵まれない人たち、
 悪意的冷厳的にに見れば、社会貢献能力の低い、魅力の無い人たち。
 そういう人たちであっただろう。
 
ーーー
 日本民族が、実際には、対等なハンガリーオーストリア二重帝国のような帝国主義を、自分たちに決定権があるときに、朝鮮民族に対して取らなかったのだから、
 その分、朝鮮民族に対して、支配者としての業を背負っているのは事実。

 その民族間の怨恨を作ってしまったことが、
 朝鮮民族内の上流中流の人たちにまで、必要以上に、
 民族怨恨問題に従軍慰安婦問題をかこつけさせることを許し、
 慰安婦だったと自称している、よく言えば気の毒だが悪く言えば魅力の無い、老婆たちへの、
 過剰な共感や支援に走らせているのも、事実。

 (ちなみに、
  私は、本論では、
  従軍慰安婦と称する人たちに、日本政府が今後、何らかの補償をするべきか、するべきでないか、するとしたらどの程度が社会的に妥当か、
  これについては、本論では、一切論じてない。
  まともなリテラシー能力、つまり言語知能がある読者なら、分かると思う。)

ーーー
 こういう、いろいろな要素が混じった、センシティブで多数の利害関係者が関わって、難しい話である「従軍慰安婦」問題は、
 おそらく、今は野党とはいえ、国政政党の党首が、記者会見のような短い文章の場で出すキーワードではなかったのだろう、と思う。
 推敲に推敲を重ねて、おそらく長文の記述文で論述するテーマだと思う。

 兼任をすぐに止めて地方自治に専念をした嘉田知事のほうが、
 政治的な保身という点では、結果的には、1日の長があったことになる。

 橋下氏は、国政に対しては、少なくとも今のところは、支持できる国政政党を裏方サポーター役で作れば十分で、そのほうが気楽に安全に、言いたいと思ったことを言えたのかもしれない。

ーーー
 一方、国連やキリスト教も、便乗で騒ぎ始めているが、一言申し上げる。

 福祉の本質、すなわち、
 世に人権と言われている物の本質は、
 「お目こぼしを与えたり受けたりすること。」である。

 その「お目こぼし」にみあった、低姿勢や謙虚が全く見られない、
 つけ上がって狂った、国連教やキリスト教の、詐欺師(右派)や狂信者(左派)などは、論外である。
 
 

 革命暴徒たちがつけあがって作ったフランス人権宣言と、
 (革命前の体制に「も」問題があったことは、別に否定していない。)、
 戦前戦後以降の、地に足の着かない夢遊病国連官僚たちが作った人権法経典を、
 「神のお告げだ。」と奉って、
 「上から宣言するぞ。」と、何か勘違いしてとち狂って、ほざいている暇があったら、

 もっと下手目線で、「福祉のお目こぼしをいただけないでしょうか?」
、または横目線で、「ある程度は下の人間とも保険を掛け合ったほうが、一定の安心にはなるのではないでしょうか?」
 そういう文体の、身の程に応じた文体のルールに作り直していただきたい!!!

ーーー
 文章ひとつ、礼節や、社会の人間関係を踏まえてまともに書けない、
 その程度の知能の奴らが、
 人権「宣言」などとぬかすルールを、勝手に作って詐欺や狂信するから、

 本質的には、
 世界どこでも高度文明社会では、宗教詐欺・宗教狂信の副作用に苦しみながらも、
 人類が試行錯誤で創造改良してきた、
 福祉保険が、
 誤解されたり、反社会勢力に悪用されたり、
 暴走と混乱の結果、かえって1から否定されて、先祖がえりのやり直しになったり、
 するのである。

ーーー

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