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2013年6月

 国会議員の、詐欺行為と狂信行為の事例。 (田島要さん、山内康一さん。)

1、
国会議員の詐欺行為の事例

 

田島要議員のブログ
http://www.k-tajima.net/index.php/archives/1209

 

 この人は、東大を出て、NTT・世界銀行などで職務経験を積んでいるから、
 頭の悪い人ではない。むしろ頭はいいほう。

 

 しかし、出所者雇用と障害者雇用を、無理に結びつけて論じていることが、詐欺行為。
 
 

 

 ご本人の本心は、
 本人自身と、
 よほど親しい、利害が合って、かつ、そっくりさんの少数親友でなければ、
 わからない。
 
 ほとんどの他人からは、結果で評価されることは、権力を持つ人は、自覚して欲しい。

 

 定数削減と増税の政争手続きでもあったが、易しい問題と難しい問題を、無理に結びつけて一度にやろうとすると、
 結局、易しい問題の解決が遅れて、時間を稼がれて、先延ばしになってしまう。

 

ーーー
 出所者雇用は難しい問題、障害者雇用は易しい問題である。

 

 田島氏は、
 障害者雇用での不正の改革を、妨害する意図で書いたのではないのかもしれないが、
 結果的にそうなれば、障害者を甘やかして健常者に損害を与える悪意ある人、ということになるのを、自覚して欲しい。

 

ーーー
 出所者雇用の問題は、難しい問題である。

 

 社会の中で、1度だけミスをして、十分被害者や社会に償った人に、どれだけ再生の機会を与えるか。
 動物愛護法の虐待規定のように、ルール自体に過剰な異常があって、犯罪者とされた人のほうが「政治犯」の被害者であるケースも、まれにある。

 

 一方で、ミスをした人の中には、恒常的にミスをする、逆に言えば、ミスをしないで行動する能力が無い、障害者と同じ不良品の人もいる。
 こういう人たちは、能力欠陥という原因を治さないで(しかも、完全に治せるケースばかりではない。)、無理に社会復帰させて機会を与えても、また同じミスを繰り返すケースもある。

 

 前者の場合は、もちろん助ける必要はあるだろうが、
 後者の場合は、とばっちりを受けて大損するのは、ルールを作った人ではなく、ミスをした人を信用して雇った雇用主や、選べない人間関係で苦労する上司同僚部下なのだから、
 ここは非常に難しい問題なのである。

 

ーーー
 私は今回の田島氏のブログ記事を読むまでは、
 この出所者雇用の分野には、特に勉強も経験もしていなかったのだから、
 直感を除いて、具体的な解決策をすぐ提示できない。

 

 多くのほかの人たちも、特にこの分野の政策通でない国会議員も含めて、
 同じである。

 

 そうとう勉強して議論して、広く関係者や国民一般の話も聞いて、
 それで、各党派の利害を調整したり対決して、立法につなげるのだから、
 解決には、相当な手間と時間がかかる。

 

ーーー
 だから、こういう、
 難しいテーマである、出所者雇用の問題を、
 易しいテーマである、障害者雇用の問題と、
 無理にリンクさせることは、
 はっきり申し上げて、詐欺行為なのである。

 

 私が再三はっきり申し上げている、
 障害者甘やかし雇用問題の改善から、
 逃げてごまかして、時間稼ぎをするために、
 無理に解決の難しい別件と絡めていると、
 結果的には、判断せざるを得ない。

 

 個人の人間性は責めないが、議論の持っていき方としては、
 卑怯卑劣、えげつないこと極まりない。
 私の母親の出身県の議員が、こういう下劣な議論をすることは、非常に残念だ。

 

ーーー
 田島議員は、決して頭が悪い人間ではなく、経歴からすれば能力は高いと思うので、
 ほかの分野では、長所もあるのかもしれない。

 

 与党時代の権力者の時代に、まちがってやってしまったこと、やるべきなのにやらなかったことの、自己弁護もあるのかもしれない。
 田島議員には、よく反省して、出所者問題と障害者問題を不要にリンクさせることの無いように、気をつけて欲しい。

 

 そして、

 

 障害者差別禁止条約(実質上の狂信平等思想・過剰共感思想)を批准しない。

 

 先日に、障害者政策では愚劣な自民党が通してしまった、
 障害者差別に公共が配慮するとの愚劣な法律(これも実質上の狂信平等思想・過剰共感思想)の廃止。

 

 障害者雇用促進法の廃止。(ずる不正採用の廃止。)
 障害者の繁殖を禁止する法律の制定。
  (集団内での劣等遺伝子のばらまきを阻止する。世代を通した民族劣化を阻止する。)

 

 これを、ぜひ実現して欲しい。
 
 

 

 日本の憲法や法律は、
 生活保護制度で生存権を無制限に保護し、
 各種人権法もあって、
 もう十分、障害者を、社会的に保護し、守っている。

 

 いや、逆に言えば、甘やかして付け上がらせて、逆差別をしている。
 むしろ、社会的に妥当な範囲を、逆に超えていると、私は思う。 

 

ーーー
 愚劣な左派男性層たちが、
 1925年の一人一票選挙制度に乗っかって、治安維持法で内政自由が無かったことには私も同情するが、
 結果的に、無謀に推し進めてしまった、過激な対外進出と、敗北する戦争。

 

 愚劣な左派女性層達が、
 1945年の一人一票選挙制度に乗っかって、劣等な人たちに動物触れ合いの機会が少ないことには私も同情するが、
 (犬猫の料金もずいぶん高い。図書館と違って、ペットを飼う場所も公共は提供していない。虐待は愛護狂信者たちにより過剰に違法とされている。)、
 結果的に、無謀に推し進めている、過激な劣等遺伝子の世代間ばらまきと、このままだと将来避けられない、環境破壊・大貧困・人類の退化現象。

 

 テーマや形態や特徴が違うだけで、
 我々日本人たちはもちろん、周辺の他民族や他国家も含めて、「損害」「迷惑」「加害」「損失」「負担」をばら撒いている点で、
 何が違うというのだ?

 

ーーーーー
2、
国会議員の狂信行為の事例

 

山内康一議員のブログ
http://yamauchi-koichi.cocolog-nifty.com/blog/2013/06/post-174c.html

 

ここまでくると、批判や怒りを通り越して、むしろ悲しくなりますね。

 

これが、個人の趣味では無くて、
公党であるみんなの党の、この分野での公式見解なら、
非常に残念です。

 

ーーー
もしこの文章に書いてあるとおりが真実の場合。
障害者がいやしくも学校正規教員になれる、現制度自体が腐敗・不正ではあるが、
その利権を奪ってまで、渡辺さんと山内さんが、河合氏に政治家への道を勧めてしまったなら、
渡辺さんと山内さんが、「個人間の人間関係での責任」を取って、河合氏の定年年齢までの生計の面倒を見てあげるべき、という部分だけ、
道義的な話としては、ある程度は、私は理解します。

 

しかし、国会議員にしてあげる必要は、ゼロですよね。
単に、小遣い銭を払って、軽い私設秘書や、党務の軽い仕事でもさせればいいじゃないですか?
もちろん、他の健常者より甘甘特別待遇になるだろうし、そうするより他に無いだろうが。

 

ご本人の生計自体は、日本の福祉制度が、彼の面倒を見てくれますよ。
好景気のときは、彼のような重度障害者にも、臨時収入の雇用が入るかもしれません。

 

それで、いいんじゃないですか?
何がいけないのですか?
何甘ったれているのですか?

 

 医療と人権の、限界・問題点。

平成25年6月16日午前9時43分
Kensuke Yamazaki

 「命は平等である。」が信条の、医師・医療関係者・獣医師。
 「人権」という魔法の呪文を唱えると、社会は円満幸福になると信じている、法曹家。

 こういう方々のうち、
 医師と成功した法曹は、個人としては、社会的に高位で立派な社会貢献をしている人が大半だが、

 ぜひ、自宅や職場に据え置ける「水槽」を買ってきて、
  (できれば、1m×2m程度の、小さすぎもせず、大きすぎもしない、水槽。)

 毎月の趣味支出のうち、支払ってもよいと思う金額の「金魚のえさ」を買ってきて、
 オスメスがある程度の数そろった金魚を買ってきて、
 後は、水草や空気入れや水の浄化装置を備え付けて、

 ぜひ金魚を飼ってみて欲しい。

ーーー
 もし医学部の勉強とインターン実習、法学部の勉強と司法修習、
 それら一直線で、
 たいして、別の生き物を数的に扱う趣味を持ってこなかったなら、
 なおさらやってみて欲しい。

ーーー
 きちんと酸素補給と水の浄化(空間と餌以外の環境要素の確保)をしていれば、
 だんだん金魚の数が増えてくるのが、わかるはずだ。
 
 各金魚や金魚集団にとって、水槽が手狭になり、窮屈になることが、わかるはずだ。
 そして、だんだん、餌の支出代が増えてくるのも、わかるはずだ。

ーーー
 そして、飼い主は、
 常に金魚の飼育書を読み、金魚相手の医療に熟知し、金魚の健康を維持し、
 病気が発生したら、薬を投与したり、
 伝染する病気は、病気の金魚だけ、もともとの水槽内の上部付近に設置した、別の小さな水槽(病院用の水槽内水槽)に一時的に移し、治ったら、すぐまた元の水槽に戻す。
 (空気入れと水の浄化は、別の装置や手間が必要になる。)

 本当に金魚が天寿で死んだときだけ、水槽から出すようにする。

ーーー
 職場の水槽なら、誰か雇える身分なら、人を雇って、常に24時間、金魚水槽の前で、金魚同士がつついたり攻撃しあっていないか、監視させる。
 そういうことがあったら、「金魚権侵害だ!」と叫んで、棒や小道具で突っついて該当する金魚同士を引き離し、攻撃を繰り返す金魚は、一定の時間、やはりもとの水槽内の上部付近に設置した、刑務所代わりの狭い別水槽に、罰として一定の期間、移す。
 (網の水槽内水槽にすれば、空気と水の手間は、不要になるが、
  ガラスやプラスチック面だと、病院用と同じ手間が、追加で必要になる。。)

 家庭の水槽なら、専業主婦や子供に手当てを払って、親類や家事手伝いのプロにバイト代を払って、シフトを組んで、同じような24時間監視をやってもらう。

ーーー
 そうすると、
 いつか必ず、
 金魚が数的に増えすぎた結果、
 金魚の健康と、
 金魚同士の平和が、
 破綻する日が来るのが、わかるはずだ。

 水槽の空間が、金魚の快適な日常生活に足りなくなる日、
 餌代の金額が、趣味として許容できる金額を超える日、

 水槽内の、病院水槽と刑務所水槽が、どんどん大きくなって、相対的に、水槽の残り部分、普通の金魚が居住する部分が、どんどん小さくなり、
 飼い主が管理する、金魚の移動や治療・独房水槽追加の作業の手間が、とても負担で面倒になり、
 鑑賞や飼育に堪えがたくなる日、
 こういう日が来るのも、わかるはずだ。

ーーー
 繁殖については、
 人間一人二人が、金魚同士の平和を、24時間監視していても、
 大人の金魚が、卵や稚魚をさっと食うくらいは完全に防げないので、
 結局、
 この実験自体では
 ある日以降、
 卵や稚魚は増えた成魚に全部食われてしまって、
 一定以上、数が増えなくなる日が来る。

 それを防ぐためには、金魚でやる場合は、
 腹が大きくなった出産前の金魚や、卵同士、稚魚同士を、それぞれ、
 水槽内の別水槽で守られた、繁殖部屋に移して、
 繁殖が必ず成功するように工夫することも、必要になる。 

 金魚などの下等すぎる生物は、
 ある程度、病気や天敵に間引かれることを想定して、ワンペアの卵の数が多すぎたりするので、
 成魚ワンペアの1回の繁殖に付き、生育後に大人水槽に戻す子世代を、4とか、8とかに絞って、
 ほかの新世代の成魚は、人為で間引いてしまうことも、
 実験の速度を人間社会に近くするためには、必要である。

 けっこう所得に余裕のある高所得者たちが、
 それなりの数の人を雇って、
 庭のウサギとか、池のアヒルとかで、絶対に繁殖が成獣や天敵に妨害されないように、赤子獣や雛を守ってやれば、
 現代の人間社会に近い、モデルを作ることが、金魚よりは、やりやすくなる。

ーーー
 無制限の医療、無制限の個体権利保護、
 これらを続けると、

 生き物というものは、
 最後の最後は、空間と食料の環境許容量、
 これらを、超えてしまう。

 結果的に、
 各個体の健康・各個体間の平和、
 これらが損なわれる。

 これが、わかるはずだ。

ーーー 
 現代の社会の問題点は、
 社会のエリートである、医師や法曹が、
 その学術教育や職務経験の過程で、
 全く、この問題に対応できる基礎知識と実践を積めていない、
 そのことにある、と思います。

ーーー
 

 過激な平等思想や共感思想が、巣食う、各種宗教の危険性について。 特に、国連条約教の危険性について。

 初期のキリスト教は、教祖やその後継者たちを見れば分かるように、非常に平等と共感をお題目にした、左派宗教だと思う。

 これは、狂信の副作用をともないつつも、原始的な福祉政策にもなったのだろうが、

 こういう人たちが一度、社会の主流になると、社会は停滞し、むしろ衰退する。

ーーー
 中世の欧州の悲惨な状態と、イスラム社会への敗北続きは、その明確な現れである。

 中世末期の英国人たちをはじめとして、近代の礎を作った欧州の人たちは、
 本当に苦労して、まさに「命がけ」で、
 キリスト教の詐欺師や狂信者たちと、体力知力を尽くして戦い、時には、なだめすかし、
 キリスト教の危険性を換骨奪胎し、
 平等思想や共感思想が、社会の余裕に応じた、最低限の社会福祉程度にとどまるよう、
 押さえつけたのである。

 これは、カノッサの屈辱・英国国教会の独立・チェコでの改革者の災難、最後は、イタリアの統一と教皇領の廃止に至るまで、
 どれだけ欧州人たちが、
 狂信的な平等思想・共感思想に苦しめられて、
 多くの正義の犠牲を払いながら、その洗脳から抜けきるのに、苦労したかの、証左である。

ーーー
 それでも、
 最後の最後は、欧州は、
 キリスト教という危険な重症起因のウイルスを、
 重症まで発現しない、低症状起因の予防接種用ワクチンに変えた程度で、
 キリスト教の影響から、抜け出せていない。

 合衆国も同じ。

 宗教改革以降の、新教の発展と、旧教の敗北改革は、
 ひどい洗脳狂信状態からの脱出と離脱の始まりではあるが、
 結局、教祖や経典の聖書自体を、科学的・客観的に分析できていないので、
 どうしても、狂信的な信者というものを、低知能の階層相手には、作り出してしまう。

 そして、本人たちの人生に得になっている限り、信者というものは、よほど知能が高くなければ、目が覚めないものである。

ーーー
 一方で、キリスト教から完全に抜け出そうとして、

 欧州人たちが作った、
 フランス革命のフランス人権宣言教や、
 共産主義教。

 国連総会の利権者たちである、途上国エリートたちと、
 先進国の反主流派である、無謀な過激夢想主義者たちが作った、
 世界人権宣言教や、国連の各種条約教。

 これらの新興宗教は、
 ご自身らを、キリスト教と同じ、世にたくさんある価値観の中の、「ただの」宗教だと思っていず、
 絶対唯一の正義の価値観だと思っている点で、

 歴史的に、平等思想・共感思想ウイルスの危険性が実験暴露されて、
 最後は隔離弱体化されたキリスト教以上に、

 はっきり申し上げて、
 人類社会に対して、共通の、
 「危険」「脅威」であり、
 「迷惑」極まりないのが、
 現実である。

ーーー
 キリスト教は、
 今の社会では、
 欧州や合衆国ではそれなりに洗脳基盤として残っているものの、
 世俗政治にあわせて弱体化し、
 音楽とカウンセリングと原始的な福祉政策の分野以外では、むしろ人類の進化と社会貢献への害になってきたことが、暴露されている。

 次に、平等思想と共感思想が盾にした、
 一見は反宗教の世俗理論、現実は宗教以外の何者でもなかった共産主義教は、
 ロシアで76年間実験してみて、結局キリスト教の2番煎じの害悪を演じ、
 キリスト教以上に、隔離弱体化された。

ーーー

 そして、今の時代、
 過激な平等思想と共感思想のシンパ達が、
 盾にしているのが、

 合衆国自体が国教とするので、合衆国政府に守られやすい、フランス人権宣言教。

 まだ世に危険性が十分認知されていないので、世の人々をだましやすい、
 国連条約教。

 そして、低知能階層、発達障害者や知的障害者の階層、純粋無垢で世間知らずの未成年達には、
 いまだ信じられやすい、
 キリスト教や共産主義教。

 この3つなのである。

ーーー
 フランス人権宣言教は、
 日本の宗主国である合衆国国民の多数が信奉しているので、
 日本政府や日本人としては、逆らいにくい。
 
 そのため、多くの日本人が、とりあえずドラえもんのスネ男君を演じていたほうが、安全だということで、
 当面は従っている。

 ここの対応は非常に難しく、芸術的な能力が必要とされる。
 よほど知力が高い人たちでないと、合衆国多数派の民衆を説得しにくい。 
 おそらく、時間もかかる。

ーーー
 キリスト教や共産主義教は、
 若者を甘やかし過ぎない限り、発達障害者や知的障害者たちを付け上がらせすぎない限り、
 過去の失敗事例を責められるので、対応はしやすい。

ーーー
 問題なのは、国連条約教である。
 これの詐欺師と狂信者に対しては、
 日本政府や、エリート層以外の中堅層の日本人もすぐ対応できるし、
 逆に、新興である国連条約教は、キリスト教や共産主義教ほど弱体化していないので、
 敵が増長増大して、キリスト教や共産主義教の2の舞をするほどの権力を持たないうちに、
 叩き潰し、かつ、なだめすかす必要がある。

ーーー
 

 ノーベル賞に対抗できる賞を、先進性や地域性別に、作る必要性について。

 国連とノーベル賞の権威を、下げる、落とす必要がある。

 横の別組織ライバルを持たない、唯一の価値観が持つリスク危険性については、これまで、国連の政策を事例にして、述べてきた。
 ノーベル賞も同じだと思う。

 さすがに、科学関係の賞は、結果がはっきり論文で出ているから、偽造実験データでもない限り、質の悪い受賞者は出てこない。

 しかし、平和賞は、
 本当に立派な政治家もいる一方で、
 単に、マイナスをゼロにするのにちょっとばかり役割を演じた程度の、宗教や民族での少数派や、能力での弱者派の、利権代表者、

 すなわち、とても人類の歴史に大きな貢献をしたとは言えないような人物に対してまで、
 賞を与えている事例もある。

ーーー
 ノーベルさんがダイナマイトで築いた富で運営される賞、
 一つの国家である、スウェーデン政府(平和賞以外)とノルウェー政府(平和賞のみ)のお墨付きで運営される賞、
 これがノーベル賞である。

 このノーベル賞が、
 世界のほかの賞に比べて、
 一神教の神のごとく、突出して崇め奉られる為に、

 万一、
 世界水準の貢献にふさわしくない程度の、一国の叙勲や自治体の賞状で十分な人にまで、
 一時の短いブームで、欧州のどこの馬の骨とも知れぬ審査員が舞い上がったり勘違いして、
 一度、間違えてノーベル賞が与えられると、

 受賞本人が増長して能力以上に付け上がり、
 挙句の果てには、その受賞者を神のごとく信奉する、シンパ狂信者まで生む、
 そういうリスク危険性がある。

ーーー
 毎年の単年度主義で判定し、
 該当無しは、賞を運営する人たちの存在価値や世間注目を薄めてしまうので、

 結果的に、甘い評定で、その1年の評価で、無理をしてでも、賞を与えがちになる。

参考;ノーベル氏の遺言
、「私のすべての換金可能な財は、次の方法で処理されなくてはならない。私の遺言執行者が安全な有価証券に投資し継続される基金を設立し、その毎年の利子について、前年に人類のために最大たる貢献をした人々に分配されるものとする。」

ーーー
 ノーベル賞受賞者の中に、
 非常に長いスパンでしかも多大な質量で、人類の歴史に貢献する人もいれば、
 間違って受賞したんじゃないか?という人もいる。

 この問題を解決するには、
 ひとつは、賞の中に階級をつけて、10年30年50年100年などの節目に、後の時代の冷静な評価分析から、
 ただの「受賞」から、
 1級受賞に格上げしたり、
 逆に、3級受賞に格下げしたり、場合によっては除籍したり、

 そういう制度内での内部改革を、する必要がある。

ーーー
 ただ、やはり根本的には、

 欧州の、その中でもスウェーデンとノルウェーの、ノーベル賞が、
 単一の価値観として、賞の中で突出評価されすぎていることにも、問題がある。

 競争が無いので、ソ連の経済制度と同じで、組織自体が、甘ったれてしまうのだと思う。

ーーー
 地域毎や、国の先進度合い毎に、
それぞれ、ノーベル賞に対抗する、賞を、別に作ったほうがいいと思う。

 地域なら、北米、中南米、アジア、中東、アフリカなどで、分かれて。
 先進度合い毎なら、合衆国・日本・豪州NZ・シンガポールなどで連携して、賞を作ればいいと思う。エジソン賞でも、二宮忠八賞や高柳健次郎賞でも。

ーーー
 ノーベルさん自身は、人類の歴史に貢献した、立派な人だと思う。

 しかし彼の作った賞だけが、突出して唯一神のような権威を持っている状況は、異常である。
 これは、欧州文明による日本文明に対する、文明価値観での「侵略」行為であると、判断せざるを得ない。

―――
 勘違いしないで欲しいのだが、
 日本で平和賞以外の賞を取った、物理学や生理学の科学者達が、世界水準で多大な貢献をした、極度の天才秀才だったことは、間違いない。
 山中氏・田中氏・白川氏など、彼ら天才秀才たちの能力への評価を、貶める意図は全く無い。

 しかし残念なのは、
 その人たちの業績に関する世界水準での評価を、
 日本の国民は、
 なぜノーベル賞という、欧州の人たちが作った基準とシステムで、受身で図られるしか、方法が無いだろうのか?

 体力の賞であるオリンピックでは、オリンピックという名称とその開催地は、どこかの地域の独占では無い。

 なぜ、ノーベル賞だけは、欧州が独占するのか?

ーーー
 アイデア先駆者への敬意は、特許や著作権の常識概念が、20年~せいぜい70年であることを考えると、
 ノーベルさんの死後1世紀以上経って、なぜ今もなお、欧州の個人名と欧州の組織人員によって、世界の知性が測られなければならないのか?

 知性での社会貢献は、体力での陸上や水泳競技のような、わかりやすい数値での比較ができない以上、
 また、ノーベル賞自体の今後は、ノーベルさんの遺志に縛られる以上、

 これはもう、別の賞を、ノーベル賞に対抗できるまでに作り上げて、評価を多極化するしか、方法が無いのではないだろうか?

 

 

 

 

 マザーテレサの失言について。

 政治家に失言があるなら、他の業界の人にも、「失言」があって当然である。

 マザーテレサは、緒方貞子と違い公権力に手を染めず、
 バチカンとして国連票は持つとはいえ、基本的に一宗教法人の広告塔の人だったから、
 私は、緒方貞子に対するような、痛烈な批判はするつもりが無い。

 ただ、世にマザーテレサの言葉として知られている、
 「愛の正反対は、無関心だ。」という言葉は、理論として「誤り」であることは、ここにはっきり指摘しておきたい。

ーーー
 マザーテレサのような「現業」の人に対しては、
 現業で行った「行動実績」で評価すべきであって、
 「言動や理論」で評価すると、かえって本人の評価を下げる可能性があることは、
 本人の支持者たちにも、理解していただきたい。

 それほど権力の上位者にならなかった現業職のマザーテレサが、
 理論分析で間違ったとしても、
 本人や支持者達が、間違った理論を正しい理論として世に広めて、不要な混乱を招くようなことをしない限りは、
 恥ずかしいことではない。

ーーー
 「愛の正反対は、憎しみである。」
 これが、正解である。

 無関心は、たいてい、薬でもなく毒でもない人に対する感情である。
 だから、愛と憎しみの間の、中間・中立であって、
 どんなに間違っても、愛の正反対ではない。

 マザーテレサは、高年になって著名人になって、所属法人の中では多少のわがままが通るようになって、
 広告塔であるがゆえに、単純に現業の立場から、支持者や寄付が増えてほしかったから、
 中立の無関心層に、ご自身へ振り向いて近づいて来て欲しかったのだろう。

ーーー
 だが、
 このマザーテレサの言葉を、
 ご本人のような、100%近く人生を利他に生きて周りが普通に思う、高齢者ではない、
 あまり知能が高くない階層の若年や中年が、
 言葉通りに受け取ると、
 実際には、問題となる事例があるのも、
 事実である。

ーーー
 利他的行動が好きな若年中年という人たちは、
 要は、その年齢ですでに人生の先が見えた、
 権力闘争の直接の敗者・脱落者達(男性)、
 そういう男達にしか生殖相手に選ばれない釣り合わない、やはり間接的に権力闘争の敗者・脱落者達(女性)
 だが、

 そういう人たちが、
 「愛の反対は無関心だ。」という理論を、
 「(彼らに近い現業の世界の)立派な人が言ったから。」と狂信すると、
 どうなるか?

 要は、ストーカー犯罪の温床になるだけなのである。

ーーー
 マザーテレサの理論の中では、
 無関心、すなわち毒でも薬でもない中立、が過剰に否定されているので、
 彼らは、中立的行動をとれず、
 愛か憎しみの、両極端に走るのである。

ーーー
 実際には、
 世の中は、
 損得(Y軸)が基本なので、
 どういうタイプの損得を大事にするか?の価値観(X軸)の、細かい優先順位の違いはあっても、
 総合的に損か得かは、はっきりするのが、世の中である。

ーーー
 相手のことが好きだからといって、相手が自身を好きでないなら、
 片思いで、たかられて損をして、好きの程度が下がるのが現実。

 逆に、相手のことを嫌いだからといって、相手が自身を嫌いでないなら、
 相手が自身に配慮するので、それほど険悪な関係にならないのも、現実。

 結局、両方の事例とも、中立に収斂していくのが、現実。

ーーー
 そういう中立を否定する理論は、
 はっきり申し上げて、
 世のため人のためにならない、結果的に、社会に損害を撒き散らす、
 邪悪な理論なのである。

ーーー
 憎しみは、敵意であり、相手に損害を与えようとする行動の原因になる。

 その憎しみが、中立よりは良い、とマザーテレサの理論では教えられているので、

 愛としての利益を相互に与えられない、良縁で無い人間関係同士が、
 無理して傷ついてまで、近づいて、勝手に苦しんで、
 結局、片方もしくは双方に憎しみの感情が発生して、
 加害行為・損害行為が発生するのである。

ーーー
 しかも、その憎しみや結果としての加害損害が、
 「無関心」「中立」よりましだと、マザーテレサ理論では分析されているので、

 一番たちの悪いことに、
 憎しみや結果としての加害損害を、
 当事者達が、評価としても、全く反省しないで正当化する、
 こういう現象になっている。

ーーー
 これは、行動者として現業で立派だった人が作った、誤った愚劣極まりない理論分析を、
 周りの人たちが、理論の過ちを見抜けなかったがゆえに発生した、
 悲劇の事例である。

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