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 ノーベル賞に対抗できる賞を、先進性や地域性別に、作る必要性について。

 国連とノーベル賞の権威を、下げる、落とす必要がある。

 横の別組織ライバルを持たない、唯一の価値観が持つリスク危険性については、これまで、国連の政策を事例にして、述べてきた。
 ノーベル賞も同じだと思う。

 さすがに、科学関係の賞は、結果がはっきり論文で出ているから、偽造実験データでもない限り、質の悪い受賞者は出てこない。

 しかし、平和賞は、
 本当に立派な政治家もいる一方で、
 単に、マイナスをゼロにするのにちょっとばかり役割を演じた程度の、宗教や民族での少数派や、能力での弱者派の、利権代表者、

 すなわち、とても人類の歴史に大きな貢献をしたとは言えないような人物に対してまで、
 賞を与えている事例もある。

ーーー
 ノーベルさんがダイナマイトで築いた富で運営される賞、
 一つの国家である、スウェーデン政府(平和賞以外)とノルウェー政府(平和賞のみ)のお墨付きで運営される賞、
 これがノーベル賞である。

 このノーベル賞が、
 世界のほかの賞に比べて、
 一神教の神のごとく、突出して崇め奉られる為に、

 万一、
 世界水準の貢献にふさわしくない程度の、一国の叙勲や自治体の賞状で十分な人にまで、
 一時の短いブームで、欧州のどこの馬の骨とも知れぬ審査員が舞い上がったり勘違いして、
 一度、間違えてノーベル賞が与えられると、

 受賞本人が増長して能力以上に付け上がり、
 挙句の果てには、その受賞者を神のごとく信奉する、シンパ狂信者まで生む、
 そういうリスク危険性がある。

ーーー
 毎年の単年度主義で判定し、
 該当無しは、賞を運営する人たちの存在価値や世間注目を薄めてしまうので、

 結果的に、甘い評定で、その1年の評価で、無理をしてでも、賞を与えがちになる。

参考;ノーベル氏の遺言
、「私のすべての換金可能な財は、次の方法で処理されなくてはならない。私の遺言執行者が安全な有価証券に投資し継続される基金を設立し、その毎年の利子について、前年に人類のために最大たる貢献をした人々に分配されるものとする。」

ーーー
 ノーベル賞受賞者の中に、
 非常に長いスパンでしかも多大な質量で、人類の歴史に貢献する人もいれば、
 間違って受賞したんじゃないか?という人もいる。

 この問題を解決するには、
 ひとつは、賞の中に階級をつけて、10年30年50年100年などの節目に、後の時代の冷静な評価分析から、
 ただの「受賞」から、
 1級受賞に格上げしたり、
 逆に、3級受賞に格下げしたり、場合によっては除籍したり、

 そういう制度内での内部改革を、する必要がある。

ーーー
 ただ、やはり根本的には、

 欧州の、その中でもスウェーデンとノルウェーの、ノーベル賞が、
 単一の価値観として、賞の中で突出評価されすぎていることにも、問題がある。

 競争が無いので、ソ連の経済制度と同じで、組織自体が、甘ったれてしまうのだと思う。

ーーー
 地域毎や、国の先進度合い毎に、
それぞれ、ノーベル賞に対抗する、賞を、別に作ったほうがいいと思う。

 地域なら、北米、中南米、アジア、中東、アフリカなどで、分かれて。
 先進度合い毎なら、合衆国・日本・豪州NZ・シンガポールなどで連携して、賞を作ればいいと思う。エジソン賞でも、二宮忠八賞や高柳健次郎賞でも。

ーーー
 ノーベルさん自身は、人類の歴史に貢献した、立派な人だと思う。

 しかし彼の作った賞だけが、突出して唯一神のような権威を持っている状況は、異常である。
 これは、欧州文明による日本文明に対する、文明価値観での「侵略」行為であると、判断せざるを得ない。

―――
 勘違いしないで欲しいのだが、
 日本で平和賞以外の賞を取った、物理学や生理学の科学者達が、世界水準で多大な貢献をした、極度の天才秀才だったことは、間違いない。
 山中氏・田中氏・白川氏など、彼ら天才秀才たちの能力への評価を、貶める意図は全く無い。

 しかし残念なのは、
 その人たちの業績に関する世界水準での評価を、
 日本の国民は、
 なぜノーベル賞という、欧州の人たちが作った基準とシステムで、受身で図られるしか、方法が無いだろうのか?

 体力の賞であるオリンピックでは、オリンピックという名称とその開催地は、どこかの地域の独占では無い。

 なぜ、ノーベル賞だけは、欧州が独占するのか?

ーーー
 アイデア先駆者への敬意は、特許や著作権の常識概念が、20年~せいぜい70年であることを考えると、
 ノーベルさんの死後1世紀以上経って、なぜ今もなお、欧州の個人名と欧州の組織人員によって、世界の知性が測られなければならないのか?

 知性での社会貢献は、体力での陸上や水泳競技のような、わかりやすい数値での比較ができない以上、
 また、ノーベル賞自体の今後は、ノーベルさんの遺志に縛られる以上、

 これはもう、別の賞を、ノーベル賞に対抗できるまでに作り上げて、評価を多極化するしか、方法が無いのではないだろうか?

 

 

 

 

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